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膳所城(ぜぜじょう)(滋賀県大津市本丸町)
2019年06月02日 07:22
膳所城(ぜぜじょう)(滋賀県大津市本丸町)
ちょっと寄り道して膳所城へ、湖畔にたたづむ城後は風光明媚でした。
膳所城は大津市街の東部に位置し、膳所崎と呼ばれる琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城であり、「琵琶湖の浮城」
現在は完全に陸続きとなった本丸跡は「膳所城跡公園」として整備され、石垣がわずかに残っているほか、門が模擬再建されている。
琵琶湖畔に位置し、暑い日であったが湖畔は涼しく眺めも良い。結構ゆっくりできる

膳所城(ぜぜじょう)は、現在の滋賀県大津市本丸町にあった日本の城である。
ちょっと寄り道して膳所城へ、湖畔にたたづむ城後は風光明媚でした。
膳所城は大津市街の東部に位置し、膳所崎と呼ばれる琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城であり、大津城、坂本城、瀬田城と並ぶ「琵琶湖の浮城」の一つである。陸続きの部分に三の丸を配し、二の丸・北の丸・本丸が琵琶湖に突出する梯郭式の縄張りであった。本丸には4重4階の天守が上げられ、水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と謡われていた。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに勝利し名実共に天下人となった徳川家康は、翌、慶長6年(1601年)東海道の押さえとして、大津城を廃し膳所崎に城を築かせた。膳所城は江戸城、大坂城、名古屋城など天下普請として江戸幕府が諸大名に号令し築いた城の第1号である。縄張りは城造りの名手と言われた藤堂高虎に計画させた。湖の中に石垣を築き、本丸西隅に4重4階の天守が築かれた。家康がこの地を選んだ理由として、昔より「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」と言われた瀬田の唐橋に近い場所であったからであると言われる。
築城された年に大津城主戸田一西を3万石で入城させここに膳所藩が成立した。以後、譜代大名の居城となった。
明治3年(1870年)新政府の廃城の太政官布告が出された翌日より天守以下の建物の解体・移築が行われた。
現在は完全に陸続きとなった本丸跡は「膳所城跡公園」として整備され、石垣がわずかに残っているほか、門が模擬再建されている。

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