☆西国街道の旅の「(海田市宿)の道ゆきぶり」
「(海田市宿)の道ゆきぶり」の書込一覧です。
新着返信
返信がありません
QRコード
(海田市宿)の道ゆきぶり
【閲覧数】551
2014年10月28日 15:19
1. やるきまんまんの行程
午前10時、JR海田市駅北側に集合しました。秋晴れの中、街中を散策するには快適な天気でした。いつもと趣向を変えて、宿場町が実感できる海田市宿を詳しく歩く企画としました。地元、ボランティアガイドの方のご案内をいただきました。歩くというより、街道と宿場の歴史探訪というところでした。なかでも、当時をそのまま伝える千葉家住宅は、歴史を実感できる舞台でした。3時間近く、海田を学び、街道を学び、そして、歴史を学んだ一日、ボランティアガイドの皆さんに感謝です。
最初に、海田市の街の成り立ちについて教えていただいた。海田市は、広島城開城とともに大きくなった町、城から、東に向かって物資を運ぶ時の中継的な役割を果たすために宿駅として整備されています。城下から、東(京や江戸)への第一番目の宿駅として、城下町の人々の送迎でにぎやかであったと伝えられています。また、海田市は、瀬野川の河口部につくられており、江戸時代は、農業政策が優先しているため、海田市の南側、遠浅の広島湾干拓がすすめられたが、新田干拓のため、瀬野川は、海田市近くに湾曲させられていた。地形的には、江戸時代、現在の海田市駅の北側を流れていた瀬野川、長さ37間の大橋がかかるなど、現在の川幅と大きく変わっていません。明治になり、町のますますの発展と人口増加、また河川の氾濫に対応するため、河川の付け替えが行われており、今の海田中心の宅地は、以前は川の底であったところに付け替え後、居住している。地形を見ても、一段低いように感じる。
そんな、海田のいわれを伺った後、4班5名ごとに分かれ、ご案内をいただいた。まず、今日の本命の千葉家住宅をじっくりと見聞、そのあと、脇本陣跡、本陣跡、熊野神社、大師寺、一里塚、三宅家、胡子神社、胡神社、瀬野川の区域だった新開など、宿場町の歴史を実感できるところを見せていただいた。熱心にご案内いただいたこともあり13時近くになった。海田市駅に戻り、集合写真を撮影後、解散とした。いつもとは違う楽しみ方ができた一日でした。次回は、ここより背の方面に向けて歩く予定です。引き続き、楽しく歩きましょう。
「東への 第一宿は 海田市宿  繁栄のあとを 千葉家で見えた」

返信書き込みはありません。