☆風景街道「銀の道」の「信岡家住宅では、江戸時代、当地における西本願寺門徒の代表」
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信岡家住宅では、江戸時代、当地における西本願寺門徒の代表
【閲覧数】456 【マップカテゴリ】街道紹介
2017年05月30日 07:04

銀の道を歩く会-大森銀山から尾道を目指す旅-を、平成27年9月19-22日3泊4日の行程で実施しています。また、昨年、平成28年10月29日-30日、第弐回として銀の道を歩く旅/笠岡からの代官の足跡をおって宇賀~出口を行っています。このたび、残った区間の出口から笠岡までの間を歩くことにしました。ご声援をおねがいします 。

銀の道を歩く会-大森銀山から笠岡を目指す代官の旅-を、平成29年5月27-28日1泊2日の行程で実施しました。
そのうち、銀代官が行ったであろう一日目の行程を、5月27日に実施しました。その結果を報告します
朝早起きして結集した16人()であった。 )全区間走破した方渋谷さん、富永さん、吉川さん、小泉さんの4人をはじめ、17人の皆さんが旅の歩きに参加しました。

一日目の行事の中で素敵であったのは、何と言っても信岡家住宅であろう
午前中少し疲れてきたところ、立派な長屋門。その門をくぐると、母屋がみられる
信岡家住宅では、江戸時代、当地における西本願寺門徒の代表であり,西本願寺に納
入する備後表の畳講の元締で,庄屋を務めた旧家である。
その後子孫の方(〇〇様)にお迎えを頂き、堤内をご案内いただいた。
堤内の立派さは、とても誇らしいものがありますね。
邸宅には、福山藩主の御成もあった屋敷地である。敷地は東西約70mにも及ぶ。
主屋,東の蔵,西の蔵,炭小屋,茶室及び腰掛,井戸屋形,中門及び塀,長屋門の8
件が登録文化財として登録されている。
また、部分的に改装された長屋門内にて、お抹茶、そして、甘いあんこ入りのお菓子
を頂いた。
疲れが出てき始めでしたので、とてもありがたかった。
疲れの回復にとてもよかったですね。

〇信岡家住宅主屋(のぶおかけじゅうたく) 
所 在 地 福山市新市町戸手
 信岡家は当地における西本願寺門徒の代表であり,西本願寺に納入する備後表の畳
講の元締で,庄屋を務めた旧家である。文化元年(1804年)に貧民救済のために設立
された福山藩の義倉の設立メンバーであり,また幕末まで勘定方なども務めていた。
そうした事績により福山藩主の御成もあった屋敷地である。敷地は東西約70mにも及
ぶ。
 当家の備忘録である『繰出記録』には,文政8年(1825年)にあった主屋の火災
や,建物の建替えなどについても書かれており,当時の様子を知ることができる。
 主屋,東の蔵,西の蔵,炭小屋,茶室及び腰掛,井戸屋形,中門及び塀,長屋門の
8件が登録文化財として登録されている。
員    数 8棟 
構造・年代
主屋:段違切妻造,桟瓦葺,一部2階。文政9年(1826)
東の蔵:切妻造本瓦葺,2階建。文政9年(1826)
西の蔵:切妻造本瓦葺,2階建。文化5年(1808)
炭小屋:切妻造桟瓦葺。19世紀中頃
茶室及び腰掛:入母屋造茅葺。昭和初期
井戸屋形:寄棟造桟瓦葺。慶応4年(1868)
中門及び塀:切妻造桟瓦葺,1間腕木門。江戸時代[天保4年(1833)?]
長屋門:入母屋造本瓦葺,2階建。19世紀後半

以上

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