☆風景街道「銀の道」の「坪生(つぼう)、平安・鎌倉時代の荘園」
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坪生(つぼう)、平安・鎌倉時代の荘園
【閲覧数】388 【マップカテゴリ】街道紹介
2017年06月01日 00:12

二日目、国分寺を出発、竹尋、武田、坪生と進みました。

昼食は、坪生の池のそばでいただきました。暑かったので日陰はありがたかったです

坪生(つぼう)ですが、平安・鎌倉時代から 歴史あるところ。荘園であったようです

坪生の地名の由来としては、

条里制の最小単位である「坪」と開墾の先端地としての「尾」を結びつけ「坪尾」説が有力でした。

地名に名残がありますね。

坪生のこの道は、

「石州往来」と呼ばれ、石州(島根県)と笠岡港を結ぶ幹線道路であった。

ここ坪生から 金浦~笠岡は石州往来を歩きました。

「大森の銀」 積みだし港は西浜(よすな)ではないかと思う、あるいは笠岡港か

と言っている人もあるとか、資料を見つけたいものです。

峠の番所跡がありました。

江戸時代前半の水野藩時代(80年間)は、笠岡市と井原市の一部も水野藩領であった。

1698年水野氏断絶と共に再検地が行われ、備中28ヶ村(約5万石)は、すべて天領となった。

それにより、この街道は国境となった。

坪生の番所は重要なところになりました。

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