☆西国街道の旅の「3)義仲寺と巴御前(大津市膳所)」
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3)義仲寺と巴御前(大津市膳所)
【閲覧数】570 【マップカテゴリ】中山道
2019年05月31日 20:42
3)義仲寺と巴御前(大津市膳所)
中山道を東に進むと、膳所に入る。途中、巴御前の庵に出会う。ここは、JR膳所駅・京阪電鉄膳所駅の北約300mにある寺院。義仲寺の名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(あわづ)の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲(きそよしなか)(1154-84)をここに葬ったことに由来しています。近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。
 江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)が度々訪れ、のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われています。
 境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」など数多くの句碑が立ち、偉大な俳跡として多くの人が訪れます。このほか、本堂の朝日堂(ちょうじつどう)・翁堂(おきなどう)・無名庵(むみょうあん)・文庫などが立ち、境内全域が国の史跡に指定されています。
巴御前(ともえごぜん、生没年不詳)は、平安時代末期の信濃国の女性。女武者として伝えられている。字は鞆、鞆絵とも。『平家物語』によれば源義仲に仕える女武者。『源平闘諍録』によれば樋口兼光の娘。『源平盛衰記』によれば中原兼遠の娘、樋口兼光・今井兼平の姉妹で、源義仲の妾。よく妻と誤記されるが、源義仲の妻は巴御前ではない。
義仲の菩提(ぼだい)を弔い、愛妾(あいしょう)巴御前(ともえごぜん)が傍らに庵(いおり)を結んだのに始まるという。1553年(天文22)近江源氏の佐々木(六角)高頼(たかより)が寺を建立し、義仲堂、義仲庵(あん)とよんだ。

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