あ
なんか、同じような経験が
たまーに良いことを言うらしい。 悩める友に頗るナイスなアドバイスをするらしい。 しかし、後になって「あのときこう言ってくれた」と言われても覚えていない。 過去の自分の発言にも関わらず「いやー、いいこと言う人がいるもんだねぇ」なんてナチュラルに言ってしまうこともざらなのだ。 それが理由で「いい加減な人だ」と思われることも少なくないが、「いい加減」ではない。 「加減」はどちらかというと下手なのだ。 加減がよろしくない。 「いい加減」ではなく「悪い加減」である。 更に言うと「適当」である。 この、覚えてないことについて、違和感を持つ必要はないとわたくしは思っている。 わたくしが言ったことではなく、宇宙が言ったことだからだ。 気休めではなく、本当に答えを探しているとき、その答えは思考からではなく外部から入ってくる場合がある。否、むしろそっちのほうが多いのではなかろうか。 宇宙がわたくしへのメッセージを目の前にいる人を媒体として送信してくれているのだ。 冒頭のわたくしと同じく、アドバイスをくれた人が後になってそのときの発言を記憶していなくても全く問題ないのだ。覚えていなくて当然である。 宇宙からのメッセージの受信機として発言しただけなのだから。 わたくしは相手に「ありがとう」と言う。 アドバイスを頂いたからではない。 「宇宙からのメッセージの受信機になってくれてありがとう」である。 【サックスとfujiborn】 演奏中、意識の7割は聴くことに集中している。じゃないと自己中の演奏になってしまう。 音楽と宇宙と あなたをつなぐ サウンドトレジャー |