真実はいつも一つとコナンは言うけど、ほんとうは真実はいつも一つではないと感じているももたろう。
真実とは、ある意味、その時代や国家を映すものであり、その立ち位置によって見え方が変わるものでもあると思うのです。
極端な例で言えば、殺したと言う真実は、立場が変われば、正当な理由のもと処刑したと言うことにもなります。
死刑は、殺人なのですが、殺人とは言われない。
立場の違う人が、自分の真実を訴えるのは、悪いことではないと思います。
人は話をすることで、先を考えられるのですもの。
『変見自在 サンデルよ「正義」を教えよう』(髙山正之・著/新潮社)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。 最近、巷で流行りの「正義」とやらは、悪いヤツほど振りかざし、非道国家ほど気取りたがるのが常―。相も変わらぬ朝日新聞のお粗末ぶりから、知財泥棒国家の恐るべき手口。「鯨は人間の友達」と平気でウソをつく輩の正体とは―。「週刊新潮」連載中の超辛口名物コラム「変見自在」。第六弾。
いつもながら髙山氏の「変見自在」は痛快です。訳知り顔の学者や左翼系新聞をバッサリ。自分たちのしてきたことは棚に上げて、有色人種をそれこそ色眼鏡で見る欧米の欺瞞を暴く。中韓の品性のなさを鋭く指摘。我々がマスコミ報道で知らされてきたことには、実は別の側面や裏があって、我々が正しいと信じていることは実は間違っている、などなど・・・。もちろん髙山氏の言うことにも間違いやウソは含まれているのだろう。しかし戦後、日本人が鵜呑みにしてきた(そう仕向けられた?)ことは本当に公正なのだろうかと疑問を持つことは大切だろう。
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