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2011年11月05日(土) 

山根成人さんのお考えを学ばせていただこうと、御著書『種とあそんで』を買い求めました。

山根さんとは半年ほど前から月一の飲み会でご一緒させていただいております。

先日、11月2日の夜の飲み会の席で、本にサインをお願いしたところ、二宮尊徳翁の言葉を添えて下さいました。

 

この秋は 雨か嵐か知らねども 今日のつとめの 田草刈るなり

 

 

 

 

 

(文鎮がわりの石は気にしないで下さい)

 

秋の稔りは天候次第でどうなるか分からないけれど、いまやるべきことは目の前の雑草を刈ること。秋の稔りを信じていまやるべきことに全力で集中しよう、との意かと思います。

先が見通せず、混迷の度合いを深めつつある世の中ですが、この言葉を肝に銘じて精進せねばと思いながらも、やるべきことを先延ばしして小説本を読みふける今日この頃です。(汗;;)

山根さん、ご本は大切に致します。ありがとうございました。


閲覧数2,125 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2011/11/05 14:52
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2014/11/22 22:25
    柴田昭彦さん
    山根氏がこの言葉をどこから引用されたのかわかりませんが、通常、一般に引用される「いわゆる二宮翁の歌」は若干、言葉が違います。「この秋は雨か嵐か知らねども今日のつとめに田草とるなり」であり、「つとめの」と紹介する人はいますが「刈るなり」と引用する人は皆無です。それはさておき、この道歌は実は「二宮尊徳の歌」ではありません。この歌の言葉の前半をグーグル検索すれば、国会図書館がこの道歌のルーツを徹底調査した「レファレンス事例」が見つかるので、尊徳の歌でなく、横山丸三(まるみつ)の歌であることがわかります。厳密には、丸三は「雨」でなく「水」と詠んでいます。多くの人が俗伝に従って、尊徳翁の歌と誤解し、また、そう信じて紹介するということが広く行われているまことにやっかいな歌だと言えます。
    次項有
  • 2014/11/22 22:44
    > 柴田昭彦さん

    なるほどそうなのですね。勉強になりました。ありがとうございました。
    次項有
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