先日,お葬式がありました。 会社の社員のご尊父が亡くなられたということで,葬儀に参列してまいりました。
浄土真宗でした。
ワタシは浄土真宗本願寺派の檀家の生まれでしたので, 浄土真宗はすごく馴染み深いんです。
正信偈も御文章もそらで詠むことができます。
ワタシの少年時代は,俗に言う「悪ガキ」でした。 悪さばかりしてました。
だけど,何か悪さをすれば,すぐ寺に預けられて修行を受けてました。 そうしているうちに,いつの間にか念仏を唱えることができるようになりました。
ワタシの両親は,その都度お寺に寄付してたんじゃないかと思います。
思えば当時と現在では,寺の社会的な役割がずいぶん変わってしまったものです。
昔は,母が病気に伏した時など,子供は寺に預けられていました。 精神的に追い詰められた時は,寺に説法を受けにいったものだと思います。
尾道は寺の街なので,未だそういう風潮が残っているかもしれませんが, 引っ越してきた若者たちは,檀家になろうとしないのが実情だと思います。
世の中は少子化なのに,保育施設が不足しています。 世間を見渡してみますと,教会などの宗教法人が母体となっている幼稚園が多くあります。
住民は檀家になることを拒み, 寺は地域の子育てを商売としてしまう。
どうしてそうなってしまったのでしょう?
寺は地域の精神的弱者を守るものです。 そのために地域住民は寄付をして掃除をして,寺を守ろうとします。
極道は地域の肉体的弱者を守るものです。 そのために地域住民は上納金やケツモチを払い,極道に畏怖します。
その極道が,弱者を食い物にしてしまっている始末です。(尾道は違うと思いますが)
国を見ればどうでしょう?
「子ども手当て」というものがありました。
なんで働き盛りの健康なワタシが,国に支援されなければならないんでしょう?
しっかり働いて,しっかり稼いで,国に寄付したいとは思っても, 逆に支援される立場になるなんて,ワタシは今まで何をしてきたんでしょう? プライドも自信もズタボロですよ。
だけど受け取りますよ。
ワタシは商売人ですから。 くれると言っている金を受け取らなければ商売人じゃなくなりますもの。
だけど,世の中の理不尽さを感じずにいられません。
ワタシは学が乏しいので,なんと表現していいのかわかりませんが, 誤った方向に向かっている社会を,どうにかして正しい方向に持っていきたいと願うものです。 せめて尾道だけでも。
あなかしこ。あなかしこ。 |