「鉢呂さんは辞めさせられる必要は無い」と言う人がいますが,彼は「辞任」したんです。
言葉通り,自ら職責を放棄したんです。
つまり自分の失言が,自分の本意であることを認めたということですが,
彼は大臣はおろか,政治家であることも辞める必要があるとワタシは思います。
普通じゃありませんよ。
「失言は失言だが,バカと言われてバカと返すことが一番速かったのだ。私はそれに付き合っている暇は無いと思っているし,私に投じられた一票にもその念が込められている。」だけでいいではないですか。
「えっ?彼は記者だったのか?社会の木鐸たる新聞社からの質問とは到底 思えなかったから,被災者や被災地へ向けて発したものでは無い。
私は私の本来の職責を果たすため,また守るため,バカと言ってきた者に対してバカと言った。
新聞社であれば,木鞭を振るわず,本来社会から課せられていることに木鐸を奮うべきではないか。
そういう素振りをしなかったから記者とは思わなかったが,オフレコにする必要は無い。お互い反省して,ペンを執ればいい。全ては,これからのためだ。」
たったこれだけのことが言えないというのは,政治家の資質に欠けていると言いますか,皆無と言っても過言ではないでしょう。
政治家には理と情念と,それを貫く信念が必要であると思います。
国語学者である必要はありませんので,失言は仕方ないでしょう。
しかし信念があれば失言など,しょせん揚げ足しか取られません。
また,信念の無い鉢呂さんのような者に政治家を名乗る資格も無いと思います。
マスコミの木鞭化とともに,政治家の小つぶ化が,本当に深刻な問題だとワタシは思います。