中編からの続き
ここは、あの福島第一原発から31kmに位置する、いわき市立久之浜第一小学校です。 グランドに降りると、心地よい風が吹いてきました。 昔は、尾道にもこんな風が吹いていたよねぇ。 と言いながら、浜風であろうそれに一瞬時を忘れてしまいそうでした。 校舎は、ブルーのラインが色鮮やかで綺麗です。
演奏会場の体育館に荷物を下ろし、校長先生とご挨拶。 まだお若いとてもハツラツとされている校長先生です。
みんなで会場の準備をしました。 ピアノを動かし、ステージをセッティングしたら、お客さまの椅子運び。 時折、窓から入ってくる風が、本当に気持ちいいです。
皆さんからいただいた、たくさんのメッセージを体育館に貼りました。
模造紙に13枚。体育館の横だけでは足りず後ろまでぐるりと ^^
ぎりぎりまでメッセージを 託してくださる方がおられ 模造紙に貼りきれなかったメッセージは、スクラップブックに貼らせていただきました。
11時にお弁当が届きました。 あとで紹介する学校の校庭に作られた浜風商店街の「はたや」さんのお弁当です。 すべて手作りの美味しお弁当でした。 ボリュームも満点で、うちの娘は、メインのおかずが3つある!!なんて喜んでいました ^^ たっぷりの豚の生姜焼き、焼き鮭、揚げ出し豆腐のチリソースがけ・・・ ボランティアの方が、用意してくださった冷たいお茶も美味しかったです。 お心遣いありがとうございました。
お弁当をいただく時間、校長先生が久之浜について教えてくださいました。 久之浜は、第一原発からわずか31kmのところ。 地震、津波、そしてその後の火災で、国道6号線を挟んで海側は壊滅状態。 被害は700戸、死者150名にものぼったそうです。
災害直後は、原発の放射能の影響で、小学生は全員が避難。 中央台北小学校で新年度を開始したそうです。 その後、グランドの土をとって、除染をして、やっと10月中旬から学校を再開。
いまでも、グランドの片隅には線量計が置かれていて、毎日先生が測定されています。 非核を訴えている日本の小学校に、なぜ こんな放射線の線量計置かれているのでしょう。 久之浜第一小学校には173名の児童が通っていて、中には遠くの避難所からバスで通ってくる子もいるそうです。
また、教室の隅にはにはこんな物が積まれていました。 原発の爆発に備え、2日分の食料や毛布などが備蓄されているのです。 2日である程度の放射能は落ち着くんだそうです。 久之浜の方は、今なお放射能の不安を抱えながら暮らしておられる。 改めて、その事実を実感させられました。
昼食後は、校庭の一角にある「浜風商店街」に行きました。
ここは、屋内退避指示が解除され住民が戻り始めた時、 津波と火災で商店街が壊滅したため買い物をする場所がない、という住民の方からの声で出来た 仮設商店街
食料品、衣料、雑貨、電気屋さんに床屋さん。 ここには、ひととおりのお店が揃っています。 みんな笑顔で迎えて下さり、 「尾道から来たんですよ」というと 「あー、あのてっぱんの尾道!」という声が返ってきました ^^ また、随分昔になるけれど尾道に旅行に行ったことがあるんですよ。 という方もおられ、遠くから来たことを、労ってくださいました。
ここは「久之浜ふれあい情報館」と名付けられ、 被災当時の写真や被災者支援の情報、そして放射線に関する資料などが集められていました。 ここで久之浜では火災による被害が大きかったことを改めて知りました。
ここの保育園は、地震のあといち早く避難をしたため、みんな無事だったそうです。
ここは、先程の美味しいお弁当の「はたや」さんです。 決して広くはない店内ですが、いっぱいのものが並んでいましたよ。
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