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2024/08/23 本日の厨房男子。 今日も暑かった。暑い日はやっぱりカレー。家にあるものを適当にチョイスしてカレーを作る。カレーはうまい。何を使ってもたいがいうまくなる。 冷蔵庫その他をゴソゴソ探して、ひよこ豆、人参、たまねぎ、ベーコン(ブロック)、にんにく、クミンシード(ホールと粉末)、パプリカ(粉末)コンソメスープの素、冷蔵庫でキンキンに冷えたアスパラのおひたし、らっきょう、胡瓜の漬物、冷やご飯などを用意した。もちろん「神戸スパイス」で買ったカレー粉も使う。 スープの素とカレー粉さえあればカレーは出来るし、それなりにうまい。というか、カレーを不味く作るのはむずかしい。
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2024/08/21 魚屋で「生さんま」を見つけた。値段を見て高いなと思ったが迷わず買ってしまった。やはりさんまもカツオも新ものが出れば食べたいのが人情。ウキウキしながら家に帰り、塩焼きにした。 もう一品は「伏見甘長とうがらしの甘辛いため」。
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2024/08/17 昔の同僚二人と久しぶりに飲んだ。二人とも私よりずいぶん若い。一人は転職し、一人は別の部署に転勤になっている。最近の様子を訊ねると、どちらも元気で家族円満に暮らしているという。うれしいかぎり。 場所は『おもてなし きこう 別邸 谷かつ』。三人だけだが奥の部屋を使わせていただいて、忌憚なく話をさせていただいた。 話に夢中になりつつ、やはり『谷かつ』さんの料理は抜群にうまい。大将に択んでいただいた酒もうまかった。
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2024/08/16 本日の厨房男子。 夕餉に「サルシッチャ」を作ってみた。腸詰めではなくラップを代用した簡単なものだが、好みのハーブと塩を入れて作るとなかなかうまい。コイツにはやはりビールですな。あぁ、うまい!
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2024/08/15 本日の厨房男子。 朝餉にタンドリーチキンを焼いた。 昨夜のうちに鶏ささ身をヨーグルトなど調味料に漬け込んでおいた。 オーブンで焼く。 副菜に冷や奴、納豆、ちりめん山椒。
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2024/08/15 『後に続くを信ず 特攻隊と日本人』(岩田温:著/かや書房)を読んだ。 まずは出版社の紹介文を引く。
今日8月15日は終戦記念日である。昨日、パリ五輪卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルに輝いた早田ひな選手が「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、そして、卓球が当たり前にできていることが、当たり前ではないというのを感じたいなと思い、行ってみたい」とインタビューに答えたことが巷で報道され、賛否両論が沸き起こっている。私は早田選手のファンというわけではないし、オリンピックの卓球競技も見ていないので、別段そのことに身を入れてどうこう言うつもりはない。ただ、若いのに80年近く前のことに想いをいたす彼女に感心するだけである。しかし案の定、K通信が「C国人が早田選手のSNSフォローをはずした」といった動きをわざわざ記事にしている。報道するのは自由だが、そのウラにあるK通信気質がみえてうんざりする。私としては早田選手の発言を色眼鏡で見ていただきたくないと切に願う。また早田選手の素直な気持ちを偏狭で凝り固まった視点でしかとらえられない人たちがいることがひたすら悲しい。 さてそんなこんなの今日、私もできれば知覧に行きたいぐらいの気持ちだが、いかんせん鹿児島は遠い。またいつかということにして岩田温氏渾身作である本書『後に続くを信ず 特攻隊と日本人』を手に取った。 本書のはじめは岩田氏の歴史論から入る。正確ではないかもしれないが、私なりに岩田氏の歴史というものの捉え方を書くと次のようになる。 歴史は歴史的事実に基づくからには客観的であり得ると考えられがちだ。事実のみを叙述すればその積み重ねが歴史だという見方である。しかしそれは不可能である。何を歴史的事実として叙述するかは、それを記述するものによって取捨選択されるからである。歴史的事実を叙述しても、それを人間が行うとき必ず主観性が紛れ込む。ということは歴史とはたったひとつの真実の叙述ではなく、人間の解釈の数だけ歴史が存在するということである。歴史を学ぶ価値は先人たちが何を考え、どう行動したのかを思索することにあるのであって、それがない事実の羅列など何の意味もない。ただし、歴史が現代人の価値判断に基づくとしても、そこには常に懐疑と自由が存在すべきで、狭いイデオロギーに基づいた歴史観で視野狭窄に陥ることは戒めるべきである。 私の解釈違いがあるかもしれぬが、おおよそこうした考えが岩田氏の歴史論だろう。本書の主題である特攻隊を歴史的に解釈し論じるとき、偏狭なイデオロギー的確信に基づいた歴史観が頻繁に顔を覗かせる。上記に記したK通信を始め、日本のマスコミにその傾向が強い。おそらく岩田氏はそうした日本の現状に憤り、祖国のために命をかけた特攻に赴いた行為を真っ当に解釈し、その歴史的価値を明らかにしたいとの強い思いで本書を執筆されたのだと思う。 「後に続くを信ず」という言葉、それをどう解釈するか。言葉のうえでは、自分の後も特攻として出撃し続けてくれとの意と解釈することも可能だろう。しかし祖国のために命をなげうつ覚悟を持った方々がそのような言葉を残そうはずはない。みずから日本のために散華するからには、その後の日本が繁栄してほしい、自分が大切に思う父母兄弟、妻、恋人などが平和に幸せに生きてほしいと願ったに違いない。「後に続くを信ず」という言葉は、そうした思いがつまった言葉だろう。 「特攻隊員も本当は死にたくなかったのだ。なのに当時の指導者に洗脳され、強要され、騙されて死地に赴いたのだ。」といった言説に触れたことが過去に何度かある。私はそうしたときに何か割り切れず悲しい気持ちになったものだ。そしてその感情をうまく整理できずにいた。しかし本書に引用された坂口安吾の『特攻隊に捧ぐ』を読んでそれがスッキリした。それを引く。
さらに坂口氏はこうも書いている。
この『特攻隊に捧ぐ』はGHQが検閲し出版を禁止した文章らしいが、これを読むことができただけでも、本書を読んだ価値があろうというもの。 本書にはまた、小林秀雄と岡潔の対談『人間の建設』についても書かれており、読んだときの感慨が蘇ってきた。当時のブログをあたってみて改めて岡氏の次の言葉を噛みしめる。
最後にもう一つ記憶にとどめたい文章が本書に収められているので記しておく。それは慶應義塾大学の塾長を務められた経済学者、小泉信三氏がご子息が軍人として出征すると決まったときに書かれた手紙です。
岡潔氏のいうように小我を自分だと思っている人間にはこの手紙は書けないだろう。 今まさにウクライナの人々が命をかけて大国ロシアの侵略に抗っている。そんなことをして何になる、無駄死にだなどと言う人もいる。しかしそうした言葉は命を賭しても祖国を守りたいとする人たちを不当に貶めるものだろう。坂口安吾の「死にたい兵隊のあろう筈はないけれども、若者の胸に殉国の情熱というものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散った尊厳を敬い愛す心を忘れてはならないだろう」という言葉を噛みしめたい。 私も坂口安吾氏のいうように、戦争は永遠に呪うべきものであるけれど、祖国のために命をなげうつ情熱が決して間違ったものではないと思う。そして本書は岩田温氏が執筆に際し意図したとおりに「名もなく散っていった青年たちへの鎮魂の書」となっていると思う。 …[続きを読む]( リンク先は、おのみち地域SNSの外のコンテンツになります) |
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