書き込み数は4件です。 | ◀▶ |
瀬戸田に塩田があった、 ということを僕が意識させられたのは、 瀬戸田図書館で行われた宮本常一展を観たときです。 常一が写真で捉えた瀬戸田の姿は 間違いなく今も存在するこの島であり、 しかしそこには今見ることのない塩田がありました。 塩は究極の調味料です。 醤油も味噌も塩がなければつくれません。 海に囲まれたこの場所で塩をつくっていたことは 当然でもあり、尊くもあり、 失われてしまったことはとても残念なことのように思います。 最盛期には40近い塩田がありました。 昭和32年の生産量は8万トン、これは全国9位の数字でした。 この頃、生産の機械化 … [続きを読む] |
みんどうし歌わないんだろう、と思うことがあります。 道を歩きながら歌っていると「何事!?」という様子で 振り向かれることが多いんですが、 歌いたいときに歌えばいいじゃないと思うのです。 みんな一緒に歌おうよ。 かつて歌は、もっと生活と共にあったはずだと思います。 歌うことそのものが時に儀式や祈りであっただろうし、 食べること寝ることと同じぐらい自然な行為だったのではないでしょうか。 土着の歌はそのことを伝えています。 前回紹介した『歴史海道瀬戸田を歩く』に、 「浜子唄」が掲載されています。 塩田で働く浜子たちが労働中に歌っていたもの … [続きを読む] |
修学旅行で瀬戸田にやってくる高校生に浜子汁を食べてもらい、 食から瀬戸田のことを知ってもらおう、という企画を準備しています。 塩田で働く「浜子」たちの食事から生まれた浜子汁。 その食事がどんなものだったのか、 非常に迫力のある記述と出会ったのでご紹介します。 《米は一日一升支給》 重労働は、食べないと身が持たない。一日に五回、一升五合の米を食べる人もいた。水は一気に五合がぶ飲みすることも。昼食は味噌を熱くした中に、魚や野菜を入れて、おかずにした。しかし、大量に食べても飲んでも、そのはしから消耗するような毎日である。 重労働に … [続きを読む] |
ここ一月体調を崩してまして、すっかり更新が滞っております。 久々の投稿は、恐縮ですがお願いごとです。 ディスプレイが壊れてしまい、パソコンを使えずにおります。 使ってないディスプレイを持っていてあげてもいい、 なんて方いらっしゃいませんでしょうか? おいそれと余るものではないですけれど、 余ってるところにはバカスカ余ってるのではないかという気がしています。 バカスカでなくてもお持ちの方がいらっしゃいましたら ご一報いただければ幸いです。 近況 3.11『YOU THINK』http://instagr.am/p/IBwesGyn56/ 庭に畝立てました http://instagr.am/p/IWNSecSn7Q/ |
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