銀山フォーラムで、いつもよくしてくださるSさんが、私の好きなピンクのかわいい巾着袋を下さって、ラッキーと思っていたら、園山先生のお隣の席をゲット。 うちの玄関の福石ねこちゃんは、持ち歩くのには大きくて…とお話ししていたら、小さくてかわいい福石ねこちゃんをいただきました。 今日から、この子は『もも福ちゃん』と言う名前になります! なんてラッキー。しかも、それをバッグに入れると汚れる危険性がありますが、すでに巾着をいただいていたので、早速中に入れました。 時おり出して、写真におさめているのは、前のブログの通りです。 で、次に入浴券をいただいたので、懇親会の途中で抜け出して入ってきました。 水中歩行を5周して、温泉につかり、髪と顔と体を洗って、また水中歩行をして、温泉につかって上がりました。 会場にもどると、体操が終わったあとで、あららーと思ったらデザートが。 黒飛さんの生歌を聴きながら、お隣の世羅の方のお話もうかがってましたが、なかなか、頑張られているみたいです。何度かお話をうかがった方でした。 フォーラムの話も興味深いものでしたが、ちょっと聞き取りにくいことも多かったです。 代官として、金山銀山の経営にあたった大久保長安という方は、謎も多く今日は、その出生の秘密にに触れるお話も出ました。 その話をされたのは山梨県河川防災センター理事長の望月誠一さんで、望月家の古文書をもとに藤川舟運遺聞養珠院お万の方(間違っていたらごめんなさい)と言う本を著されたそうです。 そのなかで、望月家に伝わる口外してはいけなかった大久保長安の出生に関する秘密が書かれているようです。興味ある方はぜひ。 代官と言えば、何故か水戸黄門で悪役のイメージが強いのですが、実際には有能な方がおおかったようです。これまた、以前読んだオトモダチの古川愛哲さんの著書(悪代官はじつはヒーローだった江戸の歴史)の中で、有能な代官には有能な手代がついていたはずと思い当たりました。会場で、ささっとググってみたらやはり、長安にも有能な手代(その上は元締)がいたようです。 そして、死後に死刑にされ一族も連座したと言われる大久保家に生き残りがいて、それは長安に恩義を感じていた日蓮宗のお寺だったと言うお話も出ましたし、佐渡から来られた濱野浩死は、遠流の島としての話の中で日蓮上人の話をされました。 銀の道の話なのに、ナゼかキーワードは日蓮宗か?と思わずカメラマンに徹しているじねんさんの方を見てしまったももたろうなのでした。 で、さいごくさんは、さまざまな事例をあげて、これからの銀の道に提案をされてました。実際に歩くといろんなことに気がつきます。 そうすると、ここもこうであればいいのにねということになります。 銀の道の沿線の人の思いは熱いだけに、いろんなことをクリアして、実現していっていただきたいなと思いました。 興味深いお話が沢山聞けたし、なんか、ラッキー続きだったし、明日は朝から仕事だけど(今日も朝から仕事で早引けさせていただいてフォーラム行ったけど)、なんか元気な気分になってきました。 |