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2014年03月16日(日) 

 しかし今、父の遺骸を目の当たりにし、何が起こったのかをはっきり覚った。俄に凄まじい後悔が湧き起こった。自らの不用意な一言が取り返しのつかないことを引き起こしてしまったのだ。優しかった父はもう二度と笑顔を見せることはない__。
 涙が込み上げ、勘一はしゃくりあげた。武士が後ろから勘一の両肩にそっと大きな手を置いた。
 その時だった。
「泣くなっ」
 と怒鳴る者がいた。正面に勘一と同じ年格好の少年が立っていた。その少年は勘一
の前まで歩み寄ると、仁王立ちして言った。
「武士の子が泣くものではない」
 勘一はその気迫に呑まれて泣くのをやめた。
 少年は勘一の目を睨むように見た。
「お前の父は三人を相手に奮戦した。まことの侍だ。その侍の子が泣くな」
                        (本書P20より抜粋)

 

『影法師』(百田尚樹・著/講談社文庫)を読みました。

 

まずは出版社の紹介文を引きます。


頭脳明晰で剣の達人。将来を嘱望された男がなぜ不遇の死を遂げたのか。下級武士から筆頭家老にまで上り詰めた勘一は竹馬の友、彦四郎の行方を追っていた。二人の運命を変えた二十年前の事件。確かな腕を持つ彼が「卑怯傷」を負った理由とは。その真相が男の生き様を映し出す。『永遠の0』に連なる代表作。


 

 

 人は何のために生きるのであろう。ただ生きるために生きる。己のDNAを残すという意味ではそれも良い。しかし志を全うするために生きる生き方もある。あるいは志を全うするために死ぬという生き方、つまり命を代償に志を遂げるという生き様(あるいは死に様)である。
 人には天命というものがある。人一人、天命に逆らえるものではない。己の命を投げ出してはじめて叶う志もある。勘一と彦四郎は「刎頸の交わり」を交わした。そして彦四郎はみねに「どんなことがあってもお前を護ってやる」と約束した。約束の重みとはそれほどのものなのか・・・・・・。
 読んでいて何度も胸を熱くし、涙をこらえました。
 これほどの物語であれば、さらに文章表現や構成を練り直すことで文学性を高めることも可能だったろう。しかし、百田氏はそんなことにはお構いなしのように見える。とにかく氏の頭の中には語りたい物語が山ほどあり、どんどんそれを新しい作品として仕上げていくことしか考えていらっしゃらないのではないだろうか。それもあって一部の人に評価が低いのは残念なことではあるが、これほど人を感動させる物語を紡ぐ力があるのは希有のこと。私は尊敬します。
 本書を読んで、無性に藤沢周平が読みたくなりました。『風の果て』を注文しました。配達が待ち遠しい。

 

 

 

 


閲覧数1,358 カテゴリ読んだ本 コメント2 投稿日時2014/03/16 23:58
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2014/03/17 07:11
    感動を呼ぶのは、本に限らず技巧ではないと思います。
    判断基準に技巧的なことしか持ち合わせていない人は、寧ろ、人の心の機微を読み取ると言う面では、劣っているのではないかと、感じることがままあります。
    違う分野で言えば、マナーを教える立場の人が、気遣いを教えながら、思いやりに欠けている様子が見られるような場合と同様に。
    共通的に技巧によって、勢いや迫力が奪われるなら、私はそれは芸術ではないと考えます。
    次項有
  • 2014/03/17 18:08
    > ももたろうさん

    まさに我が意を得たりです。
    うまく言い表せなかったところを的確に表現してくださいました。
    ありがとうございます。
    次項有
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