『民主主義とは何なのか』(長谷川三千子・著/文春新書)を読みました。
まずは出版社(文藝春秋社の担当編集者)の紹介文を引きます。 それを持ち出されると、誰もが反対できず、おそれいってしまう、まるで黄門さまの印籠のような言葉——「民主主義」。「戦後民主主義」や「民主主義のはき違え」を非難する声はあっても、民主主義そのものを疑う声はない。しかし百年前、「デモクラシー」は不気味でいかがわしい言葉とされていた。それは何故か?民主主義や人権は自明に「よい」ものなのか?古代ギリシャの政体や英仏米の革命にひそむ思想を粘り強く検討することで、封印されていた根本的問いに立ち向かう本格評論。(AK)
いやぁ、興奮して読みました。最近の権利ばかりを主張する風潮や、政治の混迷ぶりを見るにつけ、私が漠然と何かがおかしいと感じてきたことに、これほど明快な答えを示してくれた本はありません。 我々が無条件に信奉してきた「民主主義」や「国民主権」あるいは「人権」という言葉をいかがわしいものと疑うべきだという長谷川氏の主張はかなり衝撃的です。そもそも人が生命と財産を脅かされること無く社会を形成し、人たるに値する生活を営もうとすれば、人それぞれが欲望の欲するままのふるまいに及ばぬよう人々を統制する力(つまり権力)を特定の者に付与する必要がある。しかるに「民主主義」は本質的に権力者に対する闘争のドグマを内包するのであって、人が己の欲求のままに権利を主張するならば、そこに闘争を伴う混乱状態が生じるという自家撞着に陥る。その混乱状態を脱するためには理性的態度が必要であるが、人々は「民主主義」や「権利」を正しいものと盲信するがゆえに理性を働かせることを封じてしまう。こうした思考停止状態のはてに、国家や大企業が悪であるという根拠薄弱な気分のみが漂っているという愚かな事態が生じている。真に「国民のための政治」を考えようとするならば、この「人権」の呪縛を断ち切る必要があると。以上が本書の論旨かと思います。内容を正確に理解できたかどうか自信が持てませんけれど。 何度も読み返したいが、そうもいかないので、私なりに感銘を受けた部分を記録として抜き書きしておきたい。しかし、かなり長文を引くので、ブログの閲覧範囲はトモダチのみとさせていただく。
いま、われわれにとって「民主主義」という言葉は、いまさら問うまでもない自明の言葉となっている。「それは民主主義にかなったことであるか?」と問う人はいても、「ではその民主主義は理にかなったことであるのか?」と問う人はほとんどいない。「民主主義」という言葉は、すべての議論をそこでおしまいにしてしまう力をもつている。(P8より引用) けれども一方で、彼はこの社会主義の理論が、いきなり「世界に不意打ちをくわせる」ような仕方で出現してきたものではなく、フランス革命以来の六十年間を通じて、ほとんどその必然的な展開の帰結として現われてきたものであることを認めざるをえない。言いかえれば、彼自身、若い頃には無邪気に信奉して疑わなかった民主主氣が、この社会主義の生みの親に他ならなかったことを認めているのである。(P27~P28より引用)
あの「カイザー訴追」の条項も、あらためてヒトラーに対して適用するのであれば、道理にかなった訴追と言えたであろう。ただしヒトラーの登場を、ただ単純に「ファシズムが民主主義を葬り去った」と描写したとすれば、それは明らかに誤りである。よく知られているとおり、ヒトラーは民衆の煽動ということに関して天才的な手腕をもっており、自らも意識して、そのことに力を傾注していた。『敗者の戦後』のなかで、入江氏は、ヒトラーが「大衆の鈍感な精神を動かして一つの政治的な力に転化するためには、絶対に主観的にかつ絶対的に一方的にきまり文句のス口ーガンを執拗に帳り返せ」と言つていたことを紹介し、「彼はそういう宣伝的価値のみが言葉のすべてだと考えていたふしがあり、これは驚くべきことである」と語るのであるが、実はこれは少しも珍しいことではない。フランス革命においては、言葉はまさにそのようなものとして使われたのであるし、現代のどの国でも、選挙があるたびに言葉はそのようなものとしてしか扱われない。つまり、ヒトラーはもっとも「デモクラシー」的な指導者だったのである。そして、だからこそ、彼が一九三六年にドイツ軍をラインラントに進駐させたとき、ドイツの有権者の九八パーセントがそれを支持したのである。(P40~P41より抜粋) しかし、日本を占領した連合国総司令部は、もちろんそんなことは一顧だにしようとせず、ただ彼らの第二次大戦についての公式の図式_「民主主義対ファシズム・ナチズムの戦い」__をそのままあてはめて、「日本ファシズム」を根絶し、日本を民主化すべく七年間の占領を続けたのである。この占領政策の出発点そのものがいかに錯誤にみちているかは、いままで見てきたところからも明らかであるが、何故か日本人はその錯誤に気づくことなく、自ら、自分たちの戦前・戦中は「ファシズム」であったと考え、「自らの戦争に対する反省」にもとづいて、民主主義を学び直さねばならない、と考えてしまったのであった。(P43~P44より抜粋) さらに、二十世紀の終り近くになって、(これも本来は民主主義の内から芽生えた同類の一つである)共産主義というラィヴァルが自壊していった後では、民主主義のT普遍的な権威」は、もう一度ゆるぎなく打ちたてられる、という次第となった。現在のわれわれにとっては、もはや、「民主主義という言葉ははなはだいかがわしい言葉であっ」たということが、ただ遠い昔の奇妙な風俗一つとしてしか感じられなくなっている。それは、いま見たとおり、二つの世?大戦において「民主主義」が二度とも「戦勝国の原理」となり、しかもそこで或る種のトリックによって、「正義と平和の原理」としての地位が獲得された、ということが大きくあずかっていると思われる。(P44より抜粋)
アリストテレスは、民主政(デーモクラティア)を「邪道にそれた国制」のうちに分類している。すなわちそれは、「人民のための政治」--その社会全体にとってためになる政治--を目指すのではなくて、ただ人々が私利私欲にかられて行う政治形態であると言うのである。(P51より抜粋) しかも他方で、いかなる徹底した民主政も、何らかの「指導者」が不可欠であるという事実がある。さきにも述べたとおり、人間の国家が、アジの群れやスズメの群れのようなものであるならばいざ知らず、それより少しでも複雑な共同生活を運営していこうということになれば、どうしても「指導者」なしにやっていくことは不可能である。民主政においては、つねに必らず「民衆によって選ばれた指導者」--「民衆の力」を束ねた一人、又は少数の人間--が存在することになる。となると、その「民衆によって選ばれた指導者」と僭主とは、ほとんど見分けがつかないほど「近い」ものとなってしまうのである。(P83より抜粋) けれども、ツキディデスが語っているとおり、その偉大な指導は、「なんの恐れもなく一般民衆を統御し、民衆の意向に従うよりもおのれの指針をもって民衆を導く」ことによって達成されたものであった。彼は、ペリクレス自身の言葉としても、「人が人を支配せんと主張すれば、支配のつづくかぎりかならず人の憎悪をうけ」るものであるが、本当に人々のためになることを実行するには、憎まれてでも志を曲げぬことが必要であると語った、と伝えている。(P84より抜粋) たしかに、現代の世の中では、十八世紀後半にあったような典型的な「革命」というものは見かけなくなっている。しかしそのかわりに、たえず薄められたかたちで、この「不和と敵対のイデォロギー」は民主主義の社会を支配しつづけている。それは、中小国における絶え間ない、闘争的な政権交代、というかたちを取ることもあれば、先進諸国におけるフヱミニスト運動やその他さまざまの「反体制運動」といったかたちを取ることもある。およそどんなかたちを取るにしても、そこには同じ「不和と敵対のイデォロギー」--一つの共同体の内側に、常に上下の対立を見出し、上に立つものを倒さねばならないとするイデォロギーが存在しつづけているのである。(P92より抜粋) この「国民主権」について、もっとも明快、直截に語っているのは、佐藤功氏の『日本国憲法概説』である。そこでの佐藤氏は、これをはっきりと「闘争的な概念」であると述べ、「単に国家を形成するすべての人間の意思が政治権力の源泉であるといぅ抽象的な、無色な思想を現すのではない、と断言している。ではいったい、それはどんな風にして「闘争的な概念」となっているのか? 佐藤氏は、それを知るには、この概念の「歴史的性格に注意する必要がある」と言って、こんな風に述べている。 ・・・・・・そもそも「主権」の概念自体が、国家の内側と外側との両側面において定義されてたものなのであって、「国民主権」は「国家主権」と表裏一体になっている。戦争と革命の結びつきは、この「主権」概念の構造をそのまま反映しているとも言えるのである。 けれども、近代戦争の荒々しさに盾をひそめる人々が、これは「ナショナリズム」のなせる業であると言ってj切の「国家」的なものを排除し、「政府」に敵対しようとするならば、その人々はかえって近代の「戦争と革命」の暴力性のまっただなかに足を踏み入れる、ということになるであろう。そのように「国家」や「政府」を嫌悪し忌避することこそが、シエィエスの掲げたあの「国民主権」原理の基本態度であり、そこに待ち構えているのは決して「平和」ではなくて「闘争」なのだからである。 いったい「人権」とは、本当に「自明のもの」なのだろうか? 多くの場合、人が何かをことさらに「自明のもの」と言いたてるのは、そこに何か探るとポロが出るような事柄がひそんでいるときである。むしろ、これらの宣言が、それを問うまでもないものとしていればいるほど、われわれはこの「人権」の概念を用心深く吟味検証してみる必要があろう。(P144より抜粋) 実はよく考えてみると、もともと、「権利」とは相対的な概念である。「人権宣言」の前文にも、この宣言の意図するところは、「社会統一体のすべての構成員がたえずこれを目前に置いて、不断にその権利と義務を想起するため……である」とあるとおり、ふつうわれわれの日常生活において「権利」と「義務」とは背中合わせになっていて、何か或る義務をはたしたらば、その結果として権利が生ずる、というかたちになっている。たとえば、或る人がせっせと働いて請負った仕事をやりとげたらば、その人はその代価を受取る権利を持つことになるし、やりとげられなかったら、その権利は生じない。そういう意味で、権利は相対的な概念である。 ・・・・・いまあらためて、あの「独立宣言」の一節をふり返ってみよう。 一ロに言って、「人権」の概念は、こっそりと裏側では神にたより、神のご威光によって自らを正当化しておきながら、それを曖昧な表現でぼやかしたり、途中で放り出したりしてしまうことによって、それと一対になるべき「神への義務」に頬かむりをきめ込んでしまっている--そういう代物なのである。 ところが、ロックは途中でその「泥棒」を「絶対専制君主」にすり替えることで、まんまとその難問から逃げのびたのである。悪玉が「泥棒」であるかぎりは、善良なる市民がふと出来心で泥棒となるという可能性を否定できないのであるが、「絶対専制君主」を悪玉にしておけば、善良なる市民が或る日ふと出来心から絶対専制君主になつてしまうかもしれないという心配は皆無である。そこでは安心して、絶対的悪玉である「絶対的恣意的権力」に対抗する自由権を絶対の正義と規定することができる。そして、この「自由」の権利が、さきほど見たとおり、「所有権」の真中に、「譲り渡しがたい」ものとして鎮座することになつたのである。(P200より抜粋) ・・・・・・ところが、ここにこの「絶対的恣意的権力からの自由」という大義名分が発明されてみると、そのような「回帰すべきもの」は必要なくなってしまう。どこでも、誰でも、「革命」の大義名分を手にすることができる。たとえば、プラトンが『国家』で描写していたような「革命を憧れ」る者たち--「他の者への憎しみと謀反を胸に、針をおび、武器を身にまとって、その国に坐っている」者たち--にこの「絶対的恣意的権力からの自由」という大義を手渡したなら、彼らもすぐに大喜びでこの大義を振り回したことであろう。それを振り回す口実にこと欠くということはありえない。というのも、或る一つの国家の内に住む人であれば、誰しもr公権力」から何がしかの束縛を受けつつ暮している(それがまさに「社会状態(シヴィル・エステート)」に暮すということの意味である)。とすれば、何時でも、誰でも、その(本来は)当然の「公権力の束縛」を指して、「絶対的恣意的権力がわれわれの自由を脅かしている!」と叫ぶことか可能だからである。(P202より抜粋) ふり返ってみれば、国家の指導者を悪玉扱いして引きずり落とそうとするということは、すでにニ千数百年まえから見られた、人間社会の性癖一1つであった。そして「デモクラシ-」とはまさに、そうした性癖をイデオロギーとして掲げるという運動なのであった。「人権」という概念は一見そのような動きとは、何のかかわりも無さそうに見える。しかし実際には、「人権」はまさにその運動の原動力として使われることになった。そして、それはすべて、いま見てきたロツクのインチキによつてひき起こされたことだつたのである。(P204より抜粋) 現代の日本では「人権」とは、一人一人の人間が人間であるかぎりにおいて持っている、かけがえのない価値のことである、といった説明をわれわれはよく耳にする。もしその通りであるとすれば、「人権」尊重におけるもっとも大切なことは自己修養にはげむべし、ということであって、それ以外のことではないであろう。ごく一般的な事実として、「一人一人が人間であるかぎりにおいて持っている、かけがえのない価値」を損なうのはその人自身であることがもっとも多いのだからである。 ・・・・・・ただし、その頃の共産主義者たちは、「人権」というスローガンにはいたって冷淡であった。彼らは、むしろ「ブルジョアジーによる搾取をおおいかくす虚偽表象」であると言って、この概念を批難していたのであった。ところが、一九八〇年代の終り頃から、それがにわかに一転する。「人権」は共産主義者のもっともお気に入りの「キーワード」となり、それを「裁判手続きで確保する」ということに多大の関心が寄せられるようになるのである。 たとえば、日本書籍の『中学社会・公民的分野』では、「新しい人権」と題して、こんな文章をかかげている。 ・・・・・・〈「権利」には「権利」を〉という硬直した発想は、本来は人間たちが知恵を出し合って解決してゆかなければならないエネルギー問題や環境保全の問題を、いたるところで単なる闘争に変えてしまう。いわば「権利」の概念が人々の思考停止を招いているのである。 一ロに言えば、民主主義とは「人間に理性を使わせないシステム」である。そして、そのことが、革命から生まれ出てきた民主主義の持つ最大の欠陥であり問題点なのである。(P213より抜粋) ・・・・・・ふり返ってみれば、あのソロンが政治詩「エウノミア」(良き政治)においてアテナイ市民に訴えていたのも、やはり同じく、心の怒りをしずめ、傲慢を抑えて「理性的な態度」を取ることであった。しかし、こうした人々の忠告にもかかわらず、「デーモクラティア」の潮流におし流されたアテナイ人たちは、そうした態度を身につけることができなかったのである。 もしもわれわれが本当に理性というものを取り戻すことができたなら、われわれは新しい目をもって、自分たち人間の手にしているさまざまのものを再評価し、しずかな感謝をささげることができるであろう。たとえば、そのときには、「国家」というものが、それまで民主主義がひき起こしてきた絶え間のない愛憎の交錯から解放されて、まさにわれわれの「生命、自由および幸福」を支えてくれる土台として、その本来の姿をあらわすことになるであろう。もともと人間は群れを作って、そのなかで生きてゆく生物であり、国家というものもその延長上に生じてきたのである。ところが、民主主義の錯乱した「理論」は、国家と国民との関係のうちに、常に闘争的なものを持ち込み、その実像を歪めてきたのであった。その錯乱がとり除かれてみれば、国家と、それが保ってきた文化、伝統、歴史というものを、ほかならぬわれわれ自身の財産として素直に受け取ることが可能となる。実際、理性の本質である知的謙虚というものを身につけてみれば、われわれが自己自身の手柄と思い込んでいるものが、いかに多く、先人から伝えられた文化、伝統、歴史の支えによるものであるかが見えてくるのである。
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