ガードナーはそれには答えず、「どうか大統領閣下、私に科学顧問としての最後の仕事をさせてください」と言った。「今からおよそ五十年前、トルーマン大統領がアルバート・アインシュタインに一つの質問をしました。もしも宇宙人が地球にやって来たら、どのように対処すればいいのかと。アインシュタインの回答は、『決して攻撃をしてはいけない』というものでした。人類を凌ぐ知的生命体に戦争を挑んでも、勝ち目はないからです」 (本書下巻P91より)
『ジェノサイド (上・下)』(高野和明・著/角川文庫)を読みました。
SFとして、ミステリとして、冒険サスペンスとして超弩級に興奮させてくれます。特にSFとしてホモサピエンスの突然変異的進化とそれに伴う滅亡を扱っているところなどアーサー・C・クラークの名著『幼年期の終り』を想起させる。『幼年期の終り』では、ホモサピエンスをはるかに凌駕する知的生命体による支配、ホモサピエンスの突然変異的進化(「全面突破:トータル・ブレイクスルー」と表現されていた)を扱っていましたが、その概念は本書『ジェノサイド』においても物語の基本になっている。神以外に自分の上位に位置する者の存在をホモサピエンス(賢い人の意)が許容することが出来るのかどうかということや、そもそもホモサピエンス同士が殺し合いを止めることが出来ないのはどういうことかと言ったことを考えさせるあたり、なかなか興味深いテーマです。その意味でこの物語は凄いと思います。 しかし残念なことに、著者には過去の歴史に事実誤認あるいは偏った見方があるようです。巻末の謝辞に著者の言葉として「考証の瑕疵を含め、全ての文責は著者にある」と書いてありますので目くじらを立てるのは大人げないと思うのですが、小説中の一部記述には不快感を禁じ得ません。たとえば日本を、日本人を必要以上に貶めるような表現やアメリカの中東政策、アフリカの混迷など、それらをどのように解釈するかは人それぞれだと思います。しかし、考えが少々浅いのではないでしょうか。戦争であれ、政治であれ、この小説中に書いてあるように短絡的に善悪を論じてはいけないのでは無いでしょうか。まあ、その程度の歴史認識しかできないのは我々ホモサピエンスの限界なのかもしれませんし、この小説に登場する進化した新人類ならばきちんと正当な評価をするのかも知れませんが。あいにく私は自らの民族、国を貶むような自虐的趣味は持ち合わせていないのです。私は、日本は義務教育の中でもっと近代史を教える必要があるし、ディベートを通じてもう少し多様な見方があることを認識すべきだと思います。そして、歴史学は決して事実を教えてくれないこと、歴史的事実として残っているものの多くは事実ではなく、勝者の作ったストーリーなのだということを知るべきだと思います。
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