我らの世代は、お互いが慈しみ、支え合い、ハーモニーを奏でるのがオトナだと教えられて育ってきたから。
『ハーモニー』(伊藤計劃/著・ハヤカワ文庫JA)を読みました。
ただし『METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS』については同名ゲームのノベライズということで、正確には小説といって良いかどうか若干の疑問は残る。私は未だ読んでいないので何ともいえないが、多くの書評によると単なる人気ゲームのノベライズという域を超えているらしい。読んでみるべきかもしれない。
さて『ハーモニー』である。これが伊藤計劃氏の遺作だ。第30回日本SF大賞受賞、「ベストSF2009」第1位、第40回星雲賞日本長編部門受賞作にして、日本人作家初の「フィリップ・K・ディック賞・特別賞」受賞作。 まずは裏表紙の紹介文を引用する。 21世紀後半、「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア”。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰にただひとり死んだはずの少女の影を見る―『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。
『虐殺器官』と同様、近未来の徹底した管理社会を小説の舞台としている。そしてお約束どおりというか、当然のことながらその近未来管理社会は病んでいる。誰も死なない(死ねない)究極の健康社会という病んだ社会。窒息しそうなほど優しい空気に溢れた社会。このような異常な社会を物語に現出させた本書はその病み方ゆえ、「フィリップ・K・ディック賞・特別賞」受賞という日本人SF作家初の快挙を成し遂げたのは当然のことといえる。SFには「病んでいる」というテイストが必要だ。そういう私自身も病んでいる。思い起こせば17歳の頃、フィリップ・K・ディック氏の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んだのが病みはじめだったような気がする。かつて「病んでいいない人間にはSFを読む資格がない」と言ったのは誰だったか。健康なんてクソ喰らえだ。 話を元に戻そう。全ての人々がただひとつの絶対的な価値観(=生命至上主義)を共有する社会。人類は悩み、苦痛、病気、事故から隔絶され、互いに協調しあい、他人を思いやり、誰と争うこともない。そんな(究極の健康社会という)極めて病んだ社会で自殺することを企てた三人の少女の物語。社会は優しさに溢れ、誰も死なない(死ねない)社会にあって、その優しさが、その気遣いが少女たちをじわじわと窒息死させようとしている。まさに人類があらゆる災禍を克服して手にしたユートピアが臨界点を迎えたとき、人類は何を獲得し何を失うのか。この小説にはそうしたことが書かれている。 伊藤氏の小説はそれこそ絶賛、酷評とり混ぜて評価は様々だろうと思う。それは伊藤計劃氏が並外れた異才であることの証しだと思う。伊藤氏の夭折を心から悼む。 |