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2011年09月10日(土) 

 

並木らがボートに乗り込み伊号潜水艦へ向かうと、見送る基地隊員は岸壁に鈴なりだ。「帽ふれ!」の合図で一斉に何百もの帽子が打ち振られる。潜水艦に「非理法権天」と書かれた幟がするすると上がった。非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず。最も強きもの、それは回天――。
 岸壁、島、山、追いかけてくるボート。すべて、人、人、人で埋め尽くされている。
 ……………………(略)……………………
 出港ラッパが海面に木霊する。
「両舷前進微速、しずーかにー進みまーす」
                             (本書P253より)

 

 『出口のない海』(横山秀夫・著/講談社文庫)を読みました。この夏、呉に行ったときに、呉港近くの書店「啓文社」で買い求めたものです。そういえば、以前に呉を訪れたときも啓文社で本を買い求めた。『散るぞ悲しき ー 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(梯久美子/著・新潮文庫)である。どうやら呉に行けば大和ミュージアムを訪れた後、近くの啓文社で本を買うのが習いとなってしまったようだ。
http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=135393

 

 

 まずは裏表紙の紹介文を引きます。

 


人間魚雷「回天」。発射と同時に死を約束される極秘作戦が、第二次世界大戦の終戦前に展開されていた。ヒジの故障のために、期待された大学野球を棒に振った甲子園優勝投手・並木浩二は、なぜ、みずから回天への搭乗を決意したのか。命の重みとは、青春の哀しみとは――。ベストセラー作家が描く戦争青春小説。


 

 主人公・並木浩二は、決して主戦論者でなく、むしろたとえ敵国兵士であってもできれば人は殺したくないという考えの持ち主である。では何故、そんな彼が自ら回天搭乗という特攻に志願したのか。出撃の機会を今か今かと心待ちにするまでになったのか。甲子園のヒーローが肘を壊し、来る日も来る日もグラウンドを黙々と走りつづけた1941年から、1945年、終戦間際までの主人公の生き様、心の軌跡を読みたどるにつけ胸が張り裂けるように痛む。
 回天の搭乗員は万に一つの助かる可能性もない出撃が怖くなかったわけではない。如何に訓練を積み重ねたとて、魂の高みに達したとて人間であれば、死が怖くなかったはずはないだろう。しかし信じがたいことに明日は出撃するという送別会での搭乗員の表情は清々しかったという。皆が微かな笑みを浮かべ、静かに酒を酌み交わしたという。一切の私を捨て、公に全てを捧げたとき、人はそこまでの高みに達することができるであろう。回天に搭乗し、海に散った若者に比して、我が身を省みるに羞恥に身の縮む思いです。
 奇しくも明日は「9.11」。10年前の記憶はまだ色あせずに私の中に残っている。回天(あるいは特攻)とテロとは全く違うものである。しかし、自らが弾となって、自らの命と引き替えに何かを為そうとする(あるいは何かを壊そうとする)者の想いとはなにか、やはり私は考えずにはいられない。

 

  

9/11, Wake me up when september Ends Video  

 

 


閲覧数2,217 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2011/09/10 16:43
公開範囲外部公開
コメント(4)
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  • 2011/09/10 17:13
    テロと特攻はまったく違います。

    プロではなく素人衆を的にかけてきた相手に対し,

    ・スジを通すために,相手にカチコミをかける特攻と,
    ・相手と同じく相手の家族を的にかけるテロとでは,
    本質はまったく違うと思います。


    ビンラーデンさんが追い込みかけられて,タマを取られたことを非難する人もいますが,
    アイツは素人衆を的にかけたあげく,コソコソ逃げまわりやがったんですから,
    草の根をわけてでも見つけだして,ケジメを取らせることは当たり前だと思います。

    ワタシら日本人は,世界のどこに行っても,「日本人なら信用できる」と言ってくれます。

    各国で法も理も権も違うのに,現在何もしていないワタシが信用されるのは,
    命をかけてスジを通してくれた先祖のおかげだとも思っています。
    次項有
  • 2011/09/10 17:39
    > みどりパパさん

    全く同感です。
    後は頼むと散っていった英霊のことを決して忘れてはいけないと思っています。
    次項有
  • 2011/09/11 00:08
    回天のことをオーストラリア旅行の時に知りました。首都のキャンベラに行った時に鳥肌が立ったことを覚えています。


    余談ですが・・・
    映画「出口のない海」の監督が下関出身で,山口や下関でロケがありました。
    娘がエキストラで撮影現場に行きましたが
    その場面は映画には使われなかったので残念でした。
    次項有
  • 2011/09/11 00:40
    > ぴっころんさん

    キャンベラに回天があるのですか。知りませんでした。
    映画を観るかどうかは思案中です。というのも海老藏さんがあまり好きでないのと、山田洋次さんと朝日新聞社が組むと偏った史観で描かれているのではないかと危惧しています。山田洋次さんが嫌いなわけじゃないのですけど。もし、お嬢様が写っていらっしゃったら、是非とも拝見したいと思いますが。(笑)
    次項有
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