「ただね、父もわたしも、状態の悪い方の『春と修羅』に愛着があったの。いかにもあの本を愛した人たちの手を経てきたようで・・・・古書としての価値には関係なく、わたしたちにとっては大切な一冊だった」
『ビブリア古書堂の事件手帖3 ~栞子さんと消えない絆~』(三上延・著/メディアワークス文庫)を読みました。
鎌倉の片隅にあるビブリア古書堂は、その佇まいに似合わず様々な客が訪れる。すっかり常連の賑やかなあの人や、困惑するような珍客も。人々は懐かしい本に想いを込める。それらは予期せぬ人と人の絆を表出させることも。美しき女店主は頁をめくるように、古書に秘められたその「言葉」を読みとっていく。彼女と無骨な青年店員が、その妙なる絆を目の当たりにしたとき思うのは?絆はとても近いところにもあるのかもしれない―。これは“古書と絆”の物語。
いいですねぇ。「軽い」とか「薄い」とか悪口雑言が聞こえてくることもありますが、私はそれに異議を唱えたい。「軽い」か? 確かに軽い。三百頁たらずの文庫本です。集中すれば二時間もあれば読み切ります。発行所は「アスキー・メディアワークス」。「あぁ、ラノベか」といった誹りが聞こえてきそうな気がします。しかし、それがどうした。ライト・ノベルの中にも光るものはある。一方、ノーベル文学賞を獲るような作家の小説にも実にくだらないものもある。決して薄くはないのだ。むしろ、深刻ぶって「私は現在の世のあり方について、こんなに深く憂えているのですよ」と言わんばかりに、必要以上に文章をこねくり回し、結局は薄っぺらな考え(薄っぺらならまだ良いのだが、全く心得違いの考え)をくどくどと、メタファーなどという技巧で化粧した文を弄する輩が、周りから先生、先生と祭り上げられ、あろうことか本人もすっかりその気になっているといった様を私は深く憂えているのです! ん? 少々云いすぎたかな? すまぬ。すまぬ。 しかし、わたくしはこれだけはいいたい!!! 言葉が難解なのはともかくとして、文章が分かりにくいのは、その書き手が下手なのだと。読者に伝えたいことを伝えられるだけの筆力が書き手に無いのだと。分かるヤツにだけ分かればよいのだと思っているのだとすれば、もはやそれは文学ではなくカルトだと。
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