『天地明察』(冲方丁・著/角川文庫)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。
(上巻) 徳川四代将軍家綱の治世、ある「プロジェクト」が立ちあがる。即ち、日本独自の暦を作り上げること。当時使われていた暦・宣明暦は正確さを失い、ずれが生じ始めていた。改暦の実行者として選ばれたのは渋川春海。碁打ちの名門に生まれた春海は己の境遇に飽き、算術に生き甲斐を見出していた。彼と「天」との壮絶な勝負が今、幕開く――。 (下巻) 「この国の老いた暦を斬ってくれぬか」会津藩藩主にして将軍家綱の後見人、保科正之から春海に告げられた重き言葉。武家と公家、士と農、そして天と地を強靭な絆で結ぶこの改暦事業は、文治国家として日本が変革を遂げる象徴でもあった。改暦の「総大将」に任じられた春海だが、ここから想像を絶する苦闘の道が始まることになる――。
”燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや” 渋川春海や関孝和という天才にとって、天の定石が明らかであるにもかかわらず、世がその秩序に従っていない状態というのは、さぞ居心地が悪かったに違いない。天の定石を知る者に世を治める権力無く、世を治める権力ある者に天賦の才無し。そのことに絶望せず、天の定石をあまねく広めたいという志を貫いた執念に拍手を送りたい。 英雄は英雄を知るというが、類い希なる知性の持ち主が比類無き知性の持ち主に出会ったとき、お互い何も語らずとも不思議な親和性がうまれる。と同時に、相手に対するリスペクトとジェラシーが綯い交ぜになった不思議な感情を抱く。渋川春海が関孝和の存在を知ったとき、彼の心の中にはまさにこのような感情が芽生えた。関の圧倒的な才能を観てしまったときに春海の心の中に芽生えたのはある種の絶望であった。自分はどんなに努力しても関に追いつけない、そんな気持になりながらも、春海はなお関孝和という最高の知性に触れることを希求する。それは渋川春海という人が「最高の知性」の価値を知るだけの知性を持っているからにほかならない。人は老いさらばえていつかは死ぬ。しかし、比類無き知性による啓示はいつまでも輝きを失うことはない。それは後世に反って輝きを増し伝説となるのだ。 蛇足ながら、渋川春海という人の素晴らしいのは「嫁を大事にする」ところだ。理知の世界に生きながら情に背かない男。男として斯くありたいという姿がここにある。なんと清々しいことか。
|