蕎麦屋は近所の中村屋で、別にうまいも、まづいもない、ただ普通の盛りである。続けて食ってゐる内に、段段味がきまり、盛りを盛る釜前の手もきまってゐる為に、箸に縺れる事もなく、日がたつに従って、益うまくなる様であった。うまいから、うまいのではなく、うまい、まづいは別として、うまいのである。
(本書P36-P37「菊世界」より抜粋)
『御馳走帖』(内田百閒/著・中公文庫)を読みました。 初百閒先生です。ご尊名は度々お見かけしておりましたが、御本を読む機会に恵まれませんでした。先日、川上弘美氏の著書『センセイの鞄』を読み、その川上氏が百閒先生のファンだと聞くに及んでこれは一度読まなくてはと思った次第。 一言でいうと偏屈オヤジである。まことに困った先生です。それは百閒先生の写真を観ても一目瞭然である。 百閒先生は明治二十二年に岡山市旭川の川東にある古京町に生まれたらしい。生家は岡山烏城の川向こう、後楽園と同じ町内にある志保屋という造り酒屋らしい。一人っ子で我が儘し放題のお祖母さん子であったようです。しかし旧制岡山県立中学校(後の県立第一岡山中学校、現・県立岡山朝日高校)在学当時に父が死に、実家の造り酒屋が没落するに及んで、それからは生涯金銭的には恵まれなかったようである。高額の月給取りであったようだが、友人や高利貸しから金を借りまくり、酒屋にはツケが相当あったようだ。別号で「百鬼園」を名乗っているが、これは「借金」の語呂合わせとする説もあるほどである。しかし、百閒先生は借金をしてもけっして卑屈になることはなく、むしろ尊大な態度を崩すことはなかったらしい。エピソードとして、(大正時代のことだが)一〇円の金を借りるのに、電車は二等(グリーン車)に乗って行き、駅から人力車で乗りつけた。つまり一〇円借りるのに、一〇円のタクシー代や電車賃を使うというようなことを敢えてやったようである。 さて本書であるが、本書は所謂グルメ本にあらず、食に対する百閒先生のこだわりというより、食をとおして百閒先生の生き方、こだわり、つまるところ美意識がそこに在る。 この辺りの感覚は次の一節にも現れている。本書P70の「百鬼園日暦」から抜粋すると、 酒は月桂冠の瓶詰、麦酒は恵比寿麦酒である。銀座辺りで飲ませる独逸麦酒をうまいと思った事もなく、麒麟麦酒には味があって常用に適しない。平生の口と味の変はるのがいけないのだから、特にうまい酒はうまいと云ふ点で私の嗜好に合はなくなる。いつか灘の白鷹の生詰を飛行機で持って来てくれたので飲んでみると、瓶詰の月桂冠より遙かに香りが高くてうまかった。利き酒としての話なら褒め上げるに吝かではないが、私の食膳には常用の味と違ふと云ふ点でその銘酒は失格した。一二杯飲んだだけで、その儘下げて酒塩にしてしまった。 酒を愛し、麦酒を愛した男。常人の理解を超えた偏屈ゆえ常識人から批判もされるが、同時に一種独特の論理と諧謔で世間から愛された男。あるいは私も百閒先生の魅力に囚われてしまったのかもしれない。
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