学問を行うのに必要なものは、気概であって学歴ではない。熱意であって体裁ではない。大学などに行かずとも、あなたの八畳間はまぎれもなく哲学の間であった。あの部屋には思索と英知が溢れ、ひらめきと発見があった。こんなことは今さら言葉にするまでもないことだ。八年をすごしたその探求の道に何を恥じ入ることがある。
『神様のカルテ』(夏川草介/著・小学館文庫)を読みました。
栗原一止は信州にある「二四時間、三六五日対応」の病院で働く、悲しむことが苦手な二十九歳の内科医である。職場は常に医師不足、四十時間連続勤務だって珍しくない。ぐるぐるぐるぐる回る毎日に、母校の信濃大学医局から誘いの声がかかる。大学に戻れば最先端の医療を学ぶことができる。だが大学病院では診てもらえない、死を前にした患者のために働く医者でありたい…。悩む一止の背中を押してくれたのは、高齢の癌患者・安曇さんからの思いがけない贈り物だった。二〇一〇年本屋大賞第二位、日本中を温かい涙に包み込んだベストセラー、待望の文庫化。
地方の医療や終末期医療など、医療に係る深刻な問題を心温まる三編の物語に著した良書。同級生であり同僚の医者が良い、看護婦が良い、先輩の医者が良い、患者さんが良い、主人公の住む古いアパートの住人(哲学者と画家)が良い、主人公が愛飲する酒(飛露喜、白馬錦、佐久の花、夜明け前)が良い、愛読書(草枕)が良い、そして何より奥さんが良い。この物語を紡ぐ材料のすべてがすばらしい。 本書を読んで頭にふと浮かんだ歌がある。与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」である。 デビュー作でもあり一流の文学作品と言わしめるだけの風格はないかもしれない。しかし私は夏川氏の描く世界が好きだ。ストレートな人間賛歌に感動し涙する。仮借のない生の現実を刺すような冷徹なまなざしで描くことは可能だ。そうした小説もすばらしいとは思う。しかしこの『神様のカルテ』はその対極にある。「生の現実」を作者の温かいまなざしで極上の物語(ファンタジー)に仕立て上げている。私はそうした物語(ファンタジー)が大好きだし、小説はそうあって欲しい。解説を書かれた上橋菜穂子氏の言葉を引用したい。
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