「この点について、何とも独特なのは談志師匠さ。あの師匠のは、女房が亭主を起こす前に逡巡する場面があるんだ」
年末になると落語の「芝浜」を聴きたくなる。ある棒手振の魚屋の男、この男は目利きが出来て仕事は一流なのだが、酒好きでついつい仕事を休んでばかりいる。その男が年も押しつまって、かみさんに急きたてられ久しぶりに芝浜へ魚を仕入れに行く。ところが時間を一刻間違え早く着きすぎた。仕方なく浜で一服しているときに大金の入った皮財布を拾う。男はこれで遊んで暮らせると、早速、ご近所の知り合いを呼び大散財。すっかり酔いつぶれて眠っていると、翌朝早くかみさんに揺り起こされ、仕事に行ってくれと頼まれる。男は拾った金があるから仕事はしないと言うが、かみさんは酔っぱらって夢でも見たんだろうという。男はしばらくはかみさんの言葉を信じなかったが、かみさんの真剣な言葉に、財布を拾ったのは自分の見た夢だったのだと騙される。男は自分はなんて馬鹿だったのかと改心し、酒を断ち懸命に働き商売も繁盛する。貧しかったくらしも、どんどん良くなりすっかり裕福になる。そんな満ち足りた大晦日、男はかみさんから実は……と事の真相を知らされるというお噺。夫婦の温かい愛情が心に染みる素敵なお話です。
裏表紙の紹介文を引きます。 かつての弟弟子が、故郷で初めての独演会を開くにあたり、福の助に『芝浜』の稽古をつけてほしいと泣きついてきた。ついに高座にかけずに終わった大家もいるほど口演が難しい人情噺に、二つ目の彼がこだわるのには深い事情があった。若手でも演じることのできる改作は果たしてできるのか? 落語を演じて謎を解く! 表題作を含む傑作三編を収録した、本格落語ミステリ第二弾。
期待どおり素晴らしいミステリでした。いや、良い意味で期待を大きく裏切ってくれました。三っつの短篇で構成されているが、それぞれ落語の『野ざらし』『芝浜』『試酒』がお話の土台になっている。落語とミステリを絡めるという芸当を無理なくやってくれています。もちろん仕上がるまでは七転八倒の苦労があるだろうことは容易に察せられます。しかし、上梓された小説はそうした苦労を感じないほど、しっくりとしています。おそらく愛川氏は練りに練って仕上げていらっしゃるのでしょう。物語はミステリとしての面白さだけでなく、古典落語を掘り下げて考える落語探求の書としての楽しみもあります。語り継がれた古典落語の腑に落ちない箇所や穴をどう解釈するか。歴代の名人がそれをどう料理するか。改作は可能か。などなど、落語を巡る興味は尽きません。読者の知的興味をくすぐりつつ、人情話として心温まり、ときに涙をさそう物語に仕上げている技術は職人技、まさに真打ちです。
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