……日々のいろいろな雑念から離れ、自然に湧いてくる想いに身を委ねられれば、我々の日々の営みとは別に絶えず流れ続ける時間と、意識が一つになるということだ。一人静かに飲んでいると、時が経っていく。生きている自分が過不足なく、ただそこに在る。父は私が三二の時に六五で逝ってしまったが、それでも二人だけで飲んだ記憶はある。今一人で飲む時と同じように、その時も時間は静かに流れていた。
(本書P019「吉田暁子・吉田健一の長女・翻訳家」のエッセイより抜粋)
『作家の酒』(編集:コロナ・ブックス編集部)を読みました。平凡社の写真本シリーズ「コロナ・ブックス」の創刊150号を記念して出版された本らしい。発行が二〇〇九年一一月二五日。
平凡社の紹介文を引きます。
井伏鱒二の愛した居酒屋、中上健次とゴールデン街、池波正太郎はそばで日本酒、山田風太郎は自宅でチーズの肉巻きにウイスキー、赤塚不二夫の宴会……作家26人の酒人生!
文士の飲み方、そこにはそれぞれの個性がある。酒豪といわれた方々だけに、毎日が酒、それも大酒だけにその人の心根の奥底が見える。多士済々、皆さん魅力に溢れていらっしゃる。「一日三升飲んでも決して乱れず」立原正秋先生、私は今年の元旦にあたり、先生に少しでも近づきたいと願をかけました。先生ほどたくさんは飲めないけれど、「飲めども乱れず」を心がけます。しかし、高田喜佐さんが嘆いていらっしゃるように、「軽く、ほどほどに、格好良く」といった今時の若い男の飲み方は致しません。「とことん、しっかり、堂々と」、これです
登場した作家の飲み方にはそれぞれ一言で副題が添えてあります。
【井伏鱒二】 横綱酒
荻窪から新宿の酒場を梯子。井伏ロードといわれる。カッコイイ。
行きつけの店、中野駅南口「北国」、新宿東口「樽平」は要チェック。
【山口瞳】 振る舞い酒
行きつけの店、自由が丘「金田」、九段下の老舗「寿司政」、銀座で最古のバー「ボルドー」、祇園「サンボア」は要チェック。
【吉田健一】 グルメ酒
吉田茂・元首相のご長男。「理想は、酒ばかり飲んでいる身分になることで、次には、酒を飲まなくても飲んでいるのと同じ状態に達することである」と仰る。冒頭引用したお嬢さん・暁子さんの文章を読んでも判るとおり、自然な心境で飲む静かな酒だったようです。見習いたい。御著書『舌鼓ところどころ』を読まねばと発注。
【田村隆一】 四六時中酒
元気な日の朝は赤ワインとステーキの朝食だったようだ。朝昼夜とまさに四六時中酒。最後の日、病院でお医者様が奥様に「もうだめだから好きなものをあげて」と言われて、奥様は吸い飲みに冷や酒を入れてあげたそうだ。一合飲んで、旨いと喜び眠るように逝ったという。素敵なお話です。
【中上健次】 ホン気酒
他人の新聞小説に「俺ならこう書く」と赤字を入れながら呑んだ。いつも激しい議論を交わす酒。ゴールデン街が庭だった。
【池波正太郎】 人情酒
昼、蕎麦屋で「鴨ぬき」で燗酒をやり、ざる蕎麦をたぐる。けっして深酒はしないが、朝、昼、夜と食事には必ず酒がついた。浅草の「並木藪蕎麦」、銀座の「いまむら」は要チェック。
【立原正秋】 こだわり酒
一日三升飲んでも決して乱れず。か、か、神様や。私は今年の元旦にあたり、先生に少しでも近づきたいと願をかけました。先生ほどたくさんは飲めないけれど……。御著書『坂道と雲と』を発注。バイブルと致したく候。
【三島由紀夫】 スマート酒
文壇バーや居酒屋は敬遠。三揃えで畏まるスマートな酒がお好みだったようです。私とは趣味が合いません。しかし、三島氏が雑誌「あまから」に書かれたという「うまいものは不味いものよりもうまい」と云うは正しい、まことに正しい一言かと感服。
【田中一光】 惚れぼれ酒
カクテルも飲み方も、キレイじゃなくちゃ。青山表参道の「バー ラジオ」は要チェック。
【赤塚不二夫】 レロレロ酒
酒が好きというより酔っぱらう感覚を愛した人。プールの中でも飲むという始終飲む酒。細部新宿線中井駅近くの赤塚さん行きつけだった「権八」は要チェック、吉田類の居酒屋放浪記でも紹介された店。
【福田蘭堂】 モテ?モテ酒
世界60カ国を釣り歩いた釣りの天才、福田蘭堂氏。美味い魚を自分で釣ってきて料理。
【秋山十三子】 はんなり酒
京の造り酒屋の蔵元に生まれ、自分で作るおばんざいには「酒塩」と称して高級酒を惜しげもなく豪快にどぼどぼを使った。冬は「かぶらむし」。春は「筍のたいたん」。夏は「ずいきのお椀」。そして秋には「いもぼう」。
【星新一】 ニコニコ酒
飲むとジョークを連発する陽気な酒。星さんと小松左京さんの飲んでいらっしゃるところを見たかった。知性のぶつかり合い、きっと録音しておきたいくらいの会話だったにちがいない。
【稲垣足穂】 バッタンキュー酒
好きで飲んでいるわけやないといいながら、ぶっ倒れるまでウイスキーをガブ飲み。破滅したくて飲む酒もある。
【小津安二郎】 底なし酒
一升瓶百本空けて一本の脚本が生まれた。私が映画監督なら年に3本は映画が撮れたということか。行きつけだった店は、銀座並木通りのおでん屋「お多幸」。酒は菊正宗、ビールはサッポロ。京橋の老舗焼き鳥屋「伊勢廣」も要チェック。
【宮脇俊三】 特急ひとり酒
旅から帰るたび「時刻表2万キロ」全線完乗地図に乗車区間を赤く塗っていった。車窓の景色を見やりながら一杯。宿でその土地ならではの珍味をアテに地酒での一献。ステキじゃないか。
【高田喜佐】 すっぴん酒
サントリー角瓶の型が好きで、デザインした人を心底尊敬し、昨今の高級志向にかかわらず、角を飲み続ける。最近の若い男の「軽く、ほどほどに、格好良く」という飲み方を嘆く。お酒とは「とことん、しっかり、堂々と」つき合えとのお言葉に納得です。
【黒澤明】 太っ腹酒
仕事が終わってからの大人数での宴会は「黒沢組の宴会」と呼ばれるほど。一番飲んでいた頃は、三船敏郎と二人でウイスキー3本を空にしたと云うから立派。
【草野心平】 ケロケロ酒
料理上手で創作メニューのアテをちょこまか作る。好んだ酒は「加茂鶴」。飲む時はコップ。それもふちのぎりぎりまで注ぐ。わかるなぁ。
【種村季弘】 奇想徘徊酒
好だったのは場末の小さな酒場。年配の女性が一人で切り盛りしているような店が好きだったという。種村氏がよく訪れたという静岡沼津の食堂「丸天」はぜひ行きたいところ。写真(本書裏表紙)にあるのは人気メニュー「海鮮かき揚げ」。貝柱、海老、野菜をサクサクッと揚げてある。同じく沼津の居酒屋「かわむら酒蔵」も梯子したい。ここでは客がつまみを冷蔵庫から自分でとるスタイル。気取らない酒がイイ。
【大藪春彦】 ハンター酒
世界中のあらゆる国を旅して、あらゆる酒を飲んだ。旅の目的は、取材であり狩猟であり、また酒を飲むことでもあった。ハードボイルドなイメージだが、家では子煩悩でよき夫。
【埴谷雄高】 老人性ボレロ酒
杯が重なるにつれ、羽化登仙、量が質へと転換する弁証法的飛躍を遂げ、然るのち泥酔。神保町の喫茶・酒場「ラドリオ」で古きよき時代・昭和に思いを馳せたい。
【田中小実昌】 場末酒(ハッピーエンド)
映画好き、バス好き、酒好き。殿山泰司、色川武大ら、酒と飲み屋と酔っ払いを愛したグレた奴らと酒盛り。新宿歌舞伎町の居酒屋「三日月」は要チェック。
【長新太】 リンリンはしご酒
いつも仲間と飲む酒。こういう酒も良い。
【田辺茂一】 風流ハレンチ酒
酒と女に明け暮れて、ついた仇名が”夜の市長”。生家は紀州備長炭を扱う「紀伊国屋」。「紀伊國屋書店」の創業者だとは知らなかった。梶山季之氏や立川談志氏と親交厚く、夜な夜な酒場に繰り出し女を口説く。よいではないですか。男の甲斐性。
【山田風太郎】 アル中ハイマー酒
毎晩ボトル三分の一のウイスキー、三六五日婦人の手料理を嗜む。仕事をするためには眠らなければならぬ、眠るためには酒を飲まねばならぬ。