粋は低出力の美学です。白粉を塗り、美服をまとい、宝石をちりばめる、バリバリにリキの入った、ガスイーターのキャデラック型満艦飾ではなくて、磨きあげた素顔に、渋好みの極致黒仕立て、ツール・ド・フランスのチャリンコ型美学です。その辺のゼロハンより役に立たなくても、かかるゼニコはベラボーです。実用外の贅沢、すなわち、「無用の贅」こそが粋の本質です。 無用の贅。日常生活に少しも必要ではない暇潰しと、何の役にも立たない座興に溺れてひたすら消費する。これが、粋な人の生き方です。 (本書P42-43より)
『うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた「江戸」』(杉浦日向子・著/ちくま文庫)を読みました。
先日「ソバ屋で憩う」を読んで以来、杉浦日向子氏の世界に傾倒しつつある。氏が惚れ込んだ江戸風俗について存分に語って下さっています。二六〇年にも及ぶ泰平の世にあって形作られた江戸という町と風俗、そこには「無用の贅」という座興に価値を見いだす「粋(イキ)」という美学が息づいていた。それは、現代において一部の高等遊民のみが獲得しうる境地であろう。そのような精神の高みに一般庶民(それも裏店に住むような貧しい者までも)が到達した「江戸」という時代に驚きを禁じ得ない。日本という国に生まれたことがちょこっと誇らしく嬉しいと感じるのは私だけではないだろう。
出版社の紹介文を引いておきます。 人生を語らず、自我を求めず、 |