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2013年01月24日(木) 

一人の子を生むのにさえ人間はおおぎょうにふるまいますが、一羽のこの地鶏は何もかもひとりでかくれて、飢えも疲れも睡む気も忘れて長い三週間の努力をこっそり行ったのです。自然といいきれば実もふたもありませんが、こんなふうに誰にも気づかれなくともひっそりと、然も見事ないのちを生み出しているようなことを、私たちも何かで仕遂げることが出来たら、春は、いいえ人間の春はもっと楽しく美しい強いもので一ぱいに充たされていくような気がするのです。

                          (本書P18~19、「春」より)

 

『洟をたらした神』(吉野せい・著/文春文庫)を読みました。

 

 

まずは出版社の紹介文を引きます。


阿武隈山麓のきびしい自然の中で貧困とたたかいぬいてきた農婦の年代記。七十歳を過ぎてから初めて筆をとった作品で、他に十六篇。大宅賞、田村俊子賞受賞作品。


 

 

「序」として詩人の串田孫一氏が文章を寄せていらっしゃる。吉野せい氏の文章を「一度ですぱっと木を割ったような、狂いのない切れ味」と評された。しかし、私にはそうは思えない。最初に収められた短編『春』の書き出しはこれだ。

 

「春ときくだけで、すぐ明るい軽いうす桃色を連想するのは、閉ざされた長い冬の間のくすぶった灰色に飽き飽きして、のどにつまった重い空気をどっと吐き出してほっと目をひらく、すぐに飛び込んで欲しい反射の色です。」 

 

これを読んだ瞬間、あぁ、これはダメだ、私には合わないと直感した。まず、第一にセンテンスが長く読みづらい。次に主語と述語がはっきりしない。賞を受賞されているのだから、この文章は玄人筋にうけるのかもしれないが、私にはとてもじゃないが美しいとは思えないのだ。なんだか悪口を書き連ねたようで申し訳ないのですが、正直な感想です。社会主義思想のにおいも好みじゃないな。ゴメンナサイ。

 


閲覧数621 カテゴリ読んだ本 コメント0 投稿日時2013/01/24 23:40
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