「ごめん」とユキヒコは言った。私は頷いた。泣きながら。 「ごめん」と、もう一度ユキヒコが言った。わたしはユキヒコにかじりついた。可愛い女は嫌いだった。可愛い女になどなりたくなかった。これから先、自分からはユキヒコに電話すまい。わたしは可愛い女になったまま、その時決心した。可愛い女などというものになってしまった以上、そのくらいの枷を自分に課さなければ、やっていられない。そう、ひそかに決意したのであった。 (本書P75より)
『ニシノユキヒコの恋と冒険』(川上弘美・著/新潮文庫)を読みました。
まずは裏表紙の紹介文を引きます。 ニシノくん、幸彦、西野君、ユキヒコ……。姿よしセックスよし。女には一も二もなく優しく、懲りることを知らない。だけど最後には必ず去られてしまう。とめどないこの世に真実の愛を探してさまよった、男一匹ニシノユキヒコの恋とかなしみの道行きを、交情あった十人の女が思い語る。はてしなくしょうもないニシノの生きようが、切なく胸にせまる、傑作連作集。
人が生きることの意味ってなんだろう? 恋することの意味、セックスの意味はなんだろう? 仮にその意味が判ったとして、おそらくそれは勘違いに過ぎないのだろう。しかし、それでも何らかの意味を求めたい。そうでなければ空しいではないか、寂しいではないか、悲しいではないか。そんな風に考える私にはニシノユキヒコが理解できない。ニシノユキヒコは同時に多くの女性とつきあう。実にスルリとセックスをする。それで別に悪いわけではないが、なんとなく寂しく空しい。誰でも愛せると言うことは、誰も愛せないと言うことと同義なのだろう。
|