『探偵ガリレオ』(東野圭吾:著/文春文庫)を読みました。 読んでいて、私のなかで何かがひっかかっていた。なんだか違和感があるのだ。途中でその違和感の原因に気がついた。湯川学=福山雅治と脳内変換して読んでいたのだが、なんとなくイメージがずれているのだ。佐野史郎氏の「解説」を読んでわかりました。東野さんは佐野さんをイメージして湯川学のキャラを作り上げていたのですね。そりゃあ、違和感ありすぎでしょ(笑) それにしても小説のドラマ化、映画化はどうしてこうも原作のテイストを無茶苦茶にするのでしょうか。映画やドラマの制作者はどれほど小説を読み込んでいるのだろう。はなはだ疑問である。ひょっとして台本しか読んでいなかったりして。 それにしても、とうとう読んでしまったな。『容疑者Xの献身』を読んで、ガリレオがシリーズになっていることを知ったが、他の作品に手を出さないよう注意していたのだ。こうしたシリーズものは読み始めたら止められないのだ。きわめて危険なのだ。”君子危うきに近寄らず”なのだ。しかし、手を出さずにいられない。活字中毒者の哀しい性である。 現時点で文庫化されているシリーズを整理しておく。
|