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2011年06月23日(木) 

 『神様がくれた弱さとほほえみ』(西村隆/著・フォレストブックス)を読みました。今月の読書会「四金会」の課題書である。

 

 

 37歳という人生の最盛期に不治の病ALSに罹ってしまわれた西村隆氏の20編の手記です。

 どうも落ち着かない。困ったことです。この本はフィクションではない。物語として加工もされていない生の手記である。

 何故、落ち着かないのか。なんだかどういう態度を取って良いのか解らないのだ。こうした手記を読んで、あるいは不治の病に罹った人や重度の障害を持つ人を目の前にしたときに、真っ先に感じるのは同情の念である。おそらくはその方たちは同情の目差しでみられることを快く思っていらっしゃらない。私が逆の立場ならそうだ。そう解っていながら、同情の念を禁じ得ないのだ。もちろん深い考えがあってのことではない。単に多くの人が当たり前に出来ていることが出来ないのはさぞかし辛いだろう、気の毒だという思いがあるだけだ。その方々が、その病気ゆえ、障害ゆえに健常者(適切な表現がみつからないのでこう表現しますが)が到達し得ない高みに達していらっしゃるか、あるいは人生の楽しみや意義を見いだしていらっしゃるかといったことなどに全く思いが至らない浅はかな考えというほかない。
 おそらく私はその方々と今の私とを比べて、自分でなくてよかったと思っている私の内なる気持ちに気づき、そんな自分を恥じ入っているのだ。そのくせ、そう思う自分の邪な部分を直視せず、自分を良い人間と思いこみたい誤魔化しの故に落ち着かないのだ。
 ALSという病を得た西村氏の境遇に救いはない。不治の病、それを治す手だてを我々は手にしていないのだから。救いがあるとすれば、西村氏が自らの運命を受け入れ「人生の目的は、健康で長生きすることではありません」(P46)という境地に達せられたことであろう。かといって、私は今なおそれを良しとは言えないのである。いつか心から西村氏の境地を理解する日が来るのだろうか……。

 

 


閲覧数2,012 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2011/06/23 00:45
公開範囲外部公開
コメント(4)
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  • 2011/06/23 01:56
    よし~さん
    その気持ち解るような気がします。といっても本当は解るはずないんですよね。
    所詮、主体、主観で生きているんですから。
    僕の弟は社会で言うところの障害者なんですが、家族でさえ解らないのに、他人に解るはずがないですよ。
    ならば、解ろうとする事は諦めて、どう付き合うかを考えたほうが大事なように思うんです。
    障害者と健常者、見た目が違うだけで、ただ価値観や個性の違いだと思ってます。
    障害があれば、人間の身体はそこを補おうとする結果、超人的な能力が身につくものです。
    それを利用する社会構造があったなら、その人を障害者と呼ぶのでしょうか。
    すみません、生意気書きました。
    次項有
  • 2011/06/23 05:39
    > よし~さん

    >障害者と健常者、見た目が違うだけで、ただ価値観や個性の違いだと

    仰るとおりだと思います。いつか屈託無く自然にそう思える人間になりたいと思います。まだまだです。
    次項有
  • 2011/06/23 19:02
    ballさん
    人の心境を理解するのは難しいですね。
    慮ることはできても。
    日本人には惻隠という情があります。
    哀れみでなく、その人や、その人の心情に寄り添うことはできると思うのですが。

    こういったことをやり過ごすことなく、深く自分に関わらせて思い巡らせているウェルズさんは素敵です。
    次項有
  • 2011/06/24 08:50
    > ballさん

    て、てれるな~
    次項有
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