あまがえるさん
岩をくり抜いた形で前には社殿がありますからむりですね。
上からの写真も。模型がわかりやすいです。
何からご紹介しようかと思いましたが、日本三奇のひとつといわれる、生石(おうしこ)神社の石の宝殿をご紹介したいと思います。 ここに行って見たいと思ったのは、“ひょこむ”でおに丸さんが紹介されていたからなんですけど、今回しおりんのパパさんのお陰で、さらに宝殿の秘密に迫るお話もお聞きすることが出来ました。 また、梅谷さんからも温かいお誘いのお電話を頂きました。 マイペースな家族なので、時間的なお約束が出来ずお断りしてしまい、申し訳なかったのですけど、しっかり「にくてん」も食べて帰ってきましたよ。その報告はまた別にさせていただきたいと思います。 以下、しおりんのパパさんにご紹介頂いた【石ころRi】の“まつした律子”さんのお話を参考にさせていただきながら、ご紹介していきたいと思います。(記憶違いがあったら申しわけありません。ご存知の方はお教えくださいませ。あくまでも、ももたろうの記憶の中ですので。) さて、生石神社ですが、創建は西暦97年、崇神天皇の御世と伝えられ、現在の社殿は秀吉の焼き討ちにあい、比較的新しいものになっていますが、その焼き討ちの証拠は、石の宝殿そのものの一部が赤く変色することによって残されています。 その石の宝殿(鎮の石室:浮石:約7m四方、高さ約6m、重量500~700t)ですが、伝承では神代の昔大穴牟遅、少毘古那の二神が天津神の命を受け、国土経営のため出雲の国よりこの地に至り、石の宮殿を作られていたが、工事半ばで反乱鎮圧のために中断してしまい、夜明けまでに神殿を起こすことが出来なかった(つまり横になった状態なんです)。しかし、二神の御霊はこの石にこもり、霊石としてあがめられている。 学術的な調査も行われていますが、なかなか内部的なものにまでは宗教的意味合いも含めてこれ以上進める事は難しいようですが、面白いお話を調査に参加されたまつしたさんからお聞きすることが出来ました。 石には皆さんもご存知のように割れやすい目と言うものがあります。それをさらに大きくしたものに「ズリ」と呼ばれるものがあるそうです。実はこの石の宝殿のすごいところは1500年(聞き違いかも。。。もっと古いかもしれません)もの昔、大きな岩山をくりぬいてそのズリが底面に来るよう計算されて掘り出されているところです。10年もの歳月をかけ、膨大な人員も導入したであろう、この石の宝殿作り。 その底面を満たす枯れることのない水の下の溝は、前面がより深くえぐられている。つまり、ズリで到達して完成した宝殿を前方に起こす計画だったと思われるのです。この壮大な計画を頓挫させたのは工事を進めていた有力者の没落ではなかろうかと。 いずれにしろ、その圧倒的な大きさと、古代に作られたとは信じられないほどの精巧なつくり。本当に素晴らしいもので,ここに霊気を感じる方々の気持ちも良く分かります。 脇にはその一部が置かれており、その石を押して自分の悪いところを触ると治るといわれている霊石があります。ももたろう一家も勿論実行いたしました。 主人は腰を触っていましたが、ももたろうと息子は迷うことなく「頭」を触りました。息子なんか相当激しく(^m^) ところで、ここのお山は全体が大きな岩山になっているのですけど、主人はしっかり、端のほうまで行ってあるものを発見しました。 そう、尾道と同様、ここにも「鼓岩」があったのです。とは言っても何も表示はされていません。歩いていて気がついたそうです。「あなたは超能力者か」と思わず言いそうになりましたが、もしかして霊石効果? 写真1枚目:石の宝殿(一部)(^_^;))息子に任せていたら、全体的な写真はなかったです。でも、まあ、全体はどうやっても撮れないでしょうけど。 写真2枚目:まつもとさんがシーボルトのスケッチ等を基にして、実際の寸法を割り出しながら、正確に50分の1の模型を(材質も同じ石です)作られていましたので、全体はこちらでごらんください。 写真3枚目:霊石。すごいパワーがあるそうです。社務所では霊石のお守りも置かれてます。 |