目隠しして後ろから手を肩に… 二人羽織り? 何かの罰ゲーム? 町娘に背後から襲いかかる怪人?
どれも不正解でした。 これは今日の「バリアフリーモニターツアー」の一場面。 視覚障害を持つ方を観光ガイドするとしたら… 障害当事者の方の視界を体験、 さらにその介助をしながらのガイドの体験をしてきました。
この「バリアフリー」という言葉、ずいぶん一般的になりました。 最近はかなり広い意味で使われていますが、 もともとは生活空間のなかでの物理的な障壁を指す言葉。
身体障害を持つ方にとって、尾道の街とはどんな場所でしょうか? 急な坂道。細い路地。 たとえば車椅子だったなら、介助者なしでは少しの移動も難しそうです。
だけどそういう地理は尾道の魅力そのものでもあります。 いわゆる「人にやさしいまち」ではない。 じゃあ、身体障害を持っていたら尾道で暮らすことも遊ぶこともできないんだろうか?
介助者なしでは移動もできない、と言いました。 それは、介助者がいればできる、ということでもあります。
ハンデのある人には誰もが自然に手を貸すような街だったら。 「人にやさしいまち」じゃなくても、「人がやさしいまち」だったら。 できることはずいぶん増えるんじゃないだろうか。
まずは観光ガイドをする僕たちがそれをやってみよう! というのが今日のツアーの趣旨なのです。
視覚障害体験と車椅子体験の二つを行いました。 まずは視覚障害体験。
一対一の介助で、尾道の街を歩いていきます。
押さえておいた方がいい基本はあるものの、 介助の仕方は状況によってさまざま。 その都度なにが最善か考えなければいけません。
食事のとき、どこに何があるか伝えるには? 言葉で説明するのか、手をとって触れてもらうのか…
介助するときは、確実にわかってもらおうとして とにかくたくさん情報を伝えました。 身に危険があるかも、と思えばすかさず手を取って安全を確保しました。
だけど介助される側を体験して思ったのは、 過剰にされると疲れるということ。 1の説明でわかったことを10説明されたり、 手探りで十分できるのに手を添えられたりするとストレスになります。
そんなとき、そこまでしなくていいよ、と当事者は言えるだろうか? よく知った相手ならともかく、慣れないヘルパーだったら… まして初対面の観光ガイドだったら…
Dialogue in the Darkという、世界中で行われているイベントがあります。 http://www.dialoginthedark.com/
完全な暗闇の中でさまざまな試みをするんですが、 これに参加したときに発見したのは、 まったく見えない状況であっても 普段見えている自分は視覚に頼ろうとするということ。 視覚が役に立たないからといって聴覚や嗅覚を研ぎ澄ませようとしても、 すぐにできることじゃありません。
今日もまったく見えない状態を体験しましたが、 実際に視覚障害を持った方の世界はどんなものなのか、 それは想像を絶するものなのだと思います。 だけど、わからないなりに、僕たちにできる最善を考え続けないといけません。
これから向き合わなくてはいけないたくさんの問いに出会った一日でした。 車椅子体験もまた発見、発見でしたが、こちらの話はまた後日。
(二人乗り自転車の体験もしたのでした。この話もまたの機会に。) |