すみちゃんさんは、「みあがり踊り」のグラビア解説と、11ページから15ページにかけて、「パソコンも友」という題で書かれています。また編集委員代表として、編集後記も書かれており、大活躍の1冊になっています。
尾道と言えば、私は「さんさがり」と思ってしまっていたのですが、「みあがり踊り」とは、御調川流域で伝承され、昭和初期のころには「たいこおどり」と称されたこともあるそうで、昭和41年には広島県の無形民俗文化財に指定されたそうです。 詳しくは、御調文学を開いていただくこととして、すみちゃんさんの御調に対する誇りを感じられる紹介となっているように思います。
地域と言うものは、そこに住む人がそこをどれだけ愛しているかで、遺すものも未来も変わってきます。 そこに残すから意味のあることも多い。 地域を愛する人を大切にすることも、育てることも、御調と言う地域では今も生きていることなのだと思います。
さて、本題の“おのみっち”を紹介してくださっている「パソコンも友」ですが、とてもすみちゃんさんらしい紹介となっています。 ぜひ、全文は本をお手元にとって、お読みになっていただきたいのですが、その中で
新しい情報により、新しい地に往来したりすることにより、その人の新しい知識と同時に幅も広がりいいことだと思っています。
また、“おのみっち”には市外県外の方も参加されていますから、このようにも書かれています。
こうした人と交流していると、自然に遠くの情報もわかり身近に感じるものです。
次の一文はとてもすみちゃんさんらしいものとして、私には映りました。
コメントから自分の考えの浅いことやいろんなことを教えていただいたりし、大変勉強になることもあります。
そして、“おのみっち”で続けられている「私の出会った人」シリーズに触れられ、このように書かれています
自分史に通じるものと確信しています。
省みて出会った人を想起するとき、その時の感動やその人から受けた様々な事を追体験することも可能になります。その場限りではなく、こうして思い起こしたことを書きとめていくという作業は、まさに、自分史であろうかと、私も思いました。このような形で、“おのみっち”を利用してくださることに、私は大事なことを感じました。
一人一人の自分史を集めれば、それは一つの地域史にもなります。 地域SNSを始める頃、私が期待していたことの一つ それは「地域の記憶の倉庫」でした。 地域には遺していきたい、残しておくべき「記憶」が、次第に時代流れの中に埋もれつつあります。 そう言うものを少しでも残していく作業が、ここでは可能なのではないか。
無駄な抵抗とはじめからあきらめてしまう人も沢山います。 だからこそ、不要なのではないかと地域SNSそのものを切り捨てるように言われる方もおられますが、目先のことばかり追っていても、未来は拓けないのではないかと、私は考えています。
私たちの生そのものが、多くの先祖の先にあるように、急激に進化したように見える社会、文化すらも、綿々と続く歴史の先にあるものではないかと思うからです。 だから、できるだけ多くの先人たちの言に耳を傾ける必要がある。 地域の記憶は、どこかにとどめておく必要があると思います。 そしてそれは、できれば、多くの人の目に触れるものであって欲しい。 多くの人の目に触れることができれば、より多くの記憶をとどめることができるのだから。
さて、何やら横道にそれそうになってきたので、話を元に戻します
すみちゃんさんのしめくくりの言葉
いつまでも、若々しくいるためにもパソコン上手と言われるように、うまく愛用していきたいものです。
そうですね 人と交流し、新しい知識を仕入れたり、情報交換したり パソコンは、ある意味、橋渡しをしてくれる重要なアイテムです。
最近手軽さから、スマホに傾倒しがちな生活を送っていますが、これはある種の危険もはらんでいます スマホはいいよ~と言っている私がこんなことを書くのも変な話ですが 私にとっては「固定電話」が「携帯電話」になったくらいの、変化だと思っています。 それはある意味、どこでも捕まってしまう 場合によっては、位置情報も公開してしまう(もちろん、自ら公開するという意味ですが) 便利ではあるが、さらに一層、ネットとの距離を縮めてしまい、生活の中にネットが閉まる割合を増やしてしまう危険もはらんでいます。 文中でもすみちゃんさんが警鐘を鳴らされていますように ただ、これに没頭し過ぎて他が見えなくならないように心がけたいものです。 と言うことは重要です。 以前ミクシィ疲れと呼ばれるものがありましたが、それに近いかもしれません。 (またまた余談ですが、就職活動のために、FBに多くの若者が流れていましたが、その中の一人から「一瞬でも情報を逃してしまったら、乗り遅れるのではないかと心配で、携帯(FB)の画面から、目が離せない」と言う言葉をきいたことがあります。解放しようとして逆に拘束することがあるのだと、力を持っている人たちは考えるべきだと感じました。) 便利な時代にはなりましたが、過ぎたるは及ばざるがごとしと思います。 自分を律するのは、結局自分だけです。 楽しく、パソコンと付き合うためにも、すみちゃんさんの書かれているように、没頭しすぎない抑制も働かせたと思います。
さて、余談ですが、巻頭に尾道市文化協会会長として書かれている川口協治さんが、このように書かれていました。
地域の芸術、文化はその地域の風土歴史と密接な関係があり、画一化すべきものでもなく、また画一化できるものでもありません。 しかしながら交流によって向東の子供達が遠い町御調に思いをはせたように、二市三町の文化協会の合併ではじめて「御調文学」を手にした人も多勢いると思います。 各地区共にお互いを開かれた存在として受け入れ、地域に視点を合わせながらもお互いを理解し、関係を深めていくことも重要なことだと思います。その架け橋としてとして「御調文学」の存在は大いなる意義があります。
このことは地域SNSにもつながる言葉として受け止めさせていただきました。 さすが、わが仲人様です。 不肖の弟子?としては、いまだ数十年前に申し渡された「起承転結」も考えない、思いつくまま書きつづると言う無茶を行っていますが、お師匠様、あなたはさすがです。と言いたい気分になりました。(多分、川口さんは「仲人は師匠じゃないぞ」と言われるにきまってますが(笑))
皆さんもぜひ、御調文学をお楽しみくださいませ!
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