標準語であったら「いない」→「いらっしゃらない」程度の変化しかタメグチと敬語の変化は無いのに対して、「いーひん」→「いはらへん」→「いてはらへん」→「いやはらへん」→「いやはらしまへん」と、まるで出世魚のように、丁寧度が増すにつれて、敬語がどんどん長く伸びていく。各語に込められる丁寧さの度合いは、言葉が長くなるにつれて微妙に、しかし確実に深まっていくのであり、そのごく微妙に丁寧さの違う言葉を、京都人達は場面場面に応じてとっさに使い分ける能力を持っているのです。 (本書P255~P256より)
『都と京』(酒井順子・著/新潮文庫)を読みました。
京都と東京、二つの「みやこ」の文化比較、というか思い入れのほどを思いっ切り語った本。著者ご本人によると二つのみやこに対する愛の告白だそうです。著者の奥深い洞察を充分に分かったとは言い難いが、「わからん」→「わからへん」→「わかりまへん」→「わからしまへん」と分からない度合いが雅に活用していくほどには分かった。かな? 入江敦彦氏の著書『イケズの構造』をあわせて読むと京のおかしみがさらに深まるだろう。 http://d.hatena.ne.jp/Jhon_Wells/searchdiary?word=%…ype=detail
表紙の紹介文を引きます。 狭い土地で千年続く歴史から生まれた「しきたり」と共存する「京都」。新しいものをどんどん取り入れて新陳代謝を繰り返す「東京」。日本のふたつの「みやこ」と、そこに生きる人間のキャラは、どうしてこんなに違うのか?東女が、異文化「京都」に出会って以来の発見・疑問・驚きを、「言葉」「節約」「神仏」「若者」「敬語」「女」など、19の観点から鋭く考察した比較文化エッセイ。
|