その花入も高麗井戸と同様・・・・・ 作為なく絶妙にひずんでおる・・・・・ いわば神が創り賜うた偶然の産物・・・・・ 野に佇む樹や石の美しさと同じと見てよい。 (第九十七席 「サマーソルジャー1593」より)
『へうげもの 七服』(山田芳裕・作/講談社文庫)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。 「秀吉暗殺」「わび数奇(すき)革命成就」。茶聖利休の野望はあえなく潰(つい)え、遂に末期(まつご)の座に臨むが、その流儀は秀吉を嗤(わら)うが如し。介錯を命じられた織部は、恩讐を越え、偉大なる師を黄泉へと送るのだった。非情のライセンスは武人の宿命。男の数奇は死闘也。「モーニング」連載中の大河漫画、大興奮文庫版第7弾。
ついに利休は秀吉から死を賜った。介錯人はなんと古田織部正。ついに古田織部は武を捨てることはできなかった。織部は利休を師と慕う者たちから茶頭筆頭の地位のために裏切ったと非難を受ける。しかし、そんな織部を利休は末期において理解していた。お互い美の追求者の極みにある者同士なればこその理解であったろう。それにしても山田さん、織部に介錯させるとは、そこまで史実を曲げていいの? 余談ながら、三成について人の情を解さぬ冷血漢ではなく、うまく喜怒哀楽を表せない不器用な男なのだとの見方には少しばかり救われました。
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