「拙者、身のほど知らずの夢を見た……どうせ断られるのなら、悔いのない相手にしようと考えたが、やはり無理であったようだ」 どうやら、いなみがでかけて行っても埒は明かなかったらしい。 「さいですか……」 伊三次の声も沈みがちになった。 「しかし、案ずるな。拙者はさほど落胆しておらぬ。もしも、この富突きが当たったなら、拙者はその人の差し上げたい物があるのだ」 「縁談を断られたのに、ですかい?」 「子供の頃から思いを懸けていた相手だ。しかし、はっきりと断られたからには、どこかで諦めをつけねばならぬ。それで最初で最後のことと念を押して差し上げるつもりだ」 「何を差し上げるんで?」 「きやまんの玉簪(たまかんざし)をのう、差し上げたいのだ。丸くて愛らしい簪をのう……きっとお似合いになる」 (本書P151「夢おぼろ」より抜粋)
『黒く塗れ 髪結い伊三次捕物余話』(宇江佐真理・著/文春文庫)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。 お文は身重を隠し、年末年始はかきいれ刻とお座敷を続けていた。所帯を持って裏店から一軒家へ移った伊三次だが、懐に余裕のないせいか、ふと侘しさを感じ、回向院の富突きに賭けてみる。お文の子は逆子とわかり心配事が増えた。伊三次を巡るわけありの人々の幸せを願わずにいられない、人気シリーズ第五弾。
物語には二とおりある。こうあって欲しいという結末の話とそうでない話。宇江佐さんは世の中そうあって欲しいと思っても、そうはならないことがあるということを充分に知っていらっしゃる。物語を書きながら、何とか救ってやりたいと泣きながら、なすすべもなく運命に押し流されてしまう男と女を描いたのだろう。「畏れ入谷の」はそんな切ない話だ。思わず涙を流してしまうほど良かった。いっぽう、読み手のこうあって欲しいという気持ちに応えてくれた話もあった。「慈雨」である。これぞ宇江佐さんの真骨頂。すてきなお話でした。そんな読者思いの宇江佐さんなら「夢おぼろ」の美雨と監物にもとびきりの結末を用意してくれるに違いない。シリーズ第六弾以降に後日譚を期待! 宇江佐さん、よろしく。
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