銀山街道の旅 石見の方とともに1回(飯南町赤名~三次市布野)の道ゆきぶり 主催:石見銀山ガイドの会 日時:平成23年11月12日(土)9時00分~17時30分 参加:23名 1. やるきまんまんの行程 道の駅赤来において、石見大森銀山から、バスで到着した方と合流しました。とても天気の良い日で、歩きが楽しみでした。飯南町教育委員会の石飛さんに赤名の宿~赤名峠越えまでをご案内いただきました。いぜん、イベントで参加、峠越えをしておりますが、二度目は、見る目も違い、一段と楽しみです 赤名の道の駅を出発、まず、赤名宿の街道に戻りました。北からの入り口ですが、道標があります。左石州大森を、右松江出雲大社を案内しています。広島側から来て、赤名を越えるところ、銀の道でもあり、出雲往来でもあることが分かります。 宿場の中を行き、本陣の場所を見聞しました。今はバスの車庫となっています。宿場町は、きちんと残っており、あちこちに歴史を感じさせます。町はずれから、赤名へ向かい始めます。国道54号とつきつ離れつでした。一里塚の位置もわかりました。 赤名が近付くにつれ、街道は54号に埋没していました。峠近く、国道に分断され、やむなく、斜面を登り、国道横断、また、斜面を登りました。峠の頂上近くは道が残っていました。明治時代でも使われたとか。江戸時代から比べると彫りこまれているので、芸州藩の国境の碑は別の寺で保管されていたようだ。今は、地元の有志で国境に戻されているし、新たに、広瀬藩の碑も建てられました。 峠を越えてから谷筋かと思いきや、何度か峠を越えて、布野の宿までは、多くの山を越えて行きました。そして、宿を過ぎると広い田園が広がっていきました。時として、毛利と、尼子の勢力争いがありました。そして、暗くなりながらも、林の中の道をたどっていきました。○○寺に到着。今日の行程はここまでとしました。 薄暗くなってからの歩きはきついものがありましたが、実際のところは、赤名から、三次まで一日で運んでおり、真っ暗になっても運び続けたとのことです。江戸時代の人の苦労には計り知れないものがありますね。 次回は翌日、布野~南に向かって歩きます。三次市三良坂まで歩きたいものですね。 「赤名にて 今なおつなぐ 両陣営 芸州広瀬で せめぎ合う」 |