まちづくりとひとづくり
総務省地域情報化アドバイザー 和崎 宏
「まちづくり」とは?
21世紀は「まちづくりの時代」と言われる。もともと「まちづくり」という言葉は、都市計画、総合計画、地域整備計画などを、住民にとって身近なものにしたいと先進的自治体が使い始めたものだ。それまでの自治体は、中央省庁の統制の下で出先機関のような立場におかれ、住民のほうを向いていなかった。それを、住民の信頼を取り戻そうと、地域の自主性の強い事業や計画を行って、市民参加を求める場合にこの言葉を使うようになった。
中央集権の画一的なタテ割りの施策や、個々の主体の利益ばかり重んずる活動の結果、個性のない都市ばかりが目立ち、東京への一極集中が加速した。「まちづくり」は都市や地域が主体性を持ち、歴史的な遺産や伝統を含めた地域文化、個性ある風土を大切にして誇りと愛着をもてる個性と文化性のある「まち」をつくってゆくことである。そこには、すべての人々が安心して生活できる人間尊重のまちづくりとしようという明確な目的がある。
「まち」は動態的で、時間と共に絶えず変化していく。「まちづくり」の成功事例には、まだ世間には認められていない時代に、障害を乗り越え困難の中で新たな発想を実践した活動がある。良質で多様な価値観をもつ人たちが、個性や自由を尊重しながら互いによい刺激を与えあい、その違いを超えてゆるやかに協働する。この実践が生み出す人的つながりが、次第に住民に自信とやる気を与え、まちの活力を甦らせていく。
まちづくりと若者たち
「まちづくりはひとづくり」という言葉は言い古された定説のようになっているが、確かに元気でユニークな「まち」には、必ず地元を愛し、活動の鍵を握るキーパーソンたちがいる。この人たちは、住民の中にいたり、自治体の職員であったり、外部から住みついた人であったり、立場は多様だ。このような人たちを発見し、育てていくことも「まちづくり」だ。彼らは、住民全体に共同体の一員として暮らしていること自覚させ、使命と責任をもって積極的に地域に参加し、協働できるよう意識づけを行い、眠っているソーシャルキャピタル(社会関係資本)を覚醒させる。
都市政策の第一人者である田村明は、まちづくりのキーパーソンたちには「風」「土」「火」「手」が必要であると説く。「風」は外部から訪れる人材、「土」は地域に根を下ろした実践者である。「風」が外部からの視点や知恵を導入し、その刺激を受けて「土」は地域の価値や課題を発見することができる。ここに「火」という情熱や思い、志しが加わり、「技術」「ノウハウ」「手法」である「手」を活かすことによって、まちが変化を起こしていく。
もうひとつの視点として、より実践の現場を知るまちづくりプランナーの柳田公市は、キーパーソンの要素として「若者」「よそ者」「バカ者」を挙げる。よそ者は「風」、バカ者は「土」にあたるが、「若者」を必須要素とした柳田の慧眼は、地域づくり実践者たちに広く受け入れられている。若者たちは、それ自身がまちづくりの現場の主体的担い手になれるだけでなく、地元に根ざし世代を超えた人材のコネクタ役となる。利益行動に結びつかない彼らの活動は、新鮮な風を地域にもたらし、まちの活性化の触媒として機能する。
まちづくりと教育
まちづくりのキーパーソンの指導の下、中高生が地元の活動に主体的に関わっている事例は枚挙にいとまがない。最近では「高校生レストランの奇跡」としてテレビドラマ化された、三重県多気町の県立相可高校食物調理科の生徒が運営する「まごの店」 の取り組みがよく知られている。「まごの店」は、学校・行政・地域が協働し、五桂池ふるさと村「おばあちゃんの店(農産物直営施設)」の食材を利用した調理実習施設として、平成14年10月にオープンした。以来、『生徒たちのきびきびとした元気な姿』や『美味しいうどん』などが話題を呼び、ふるさと村への入場者数の増加とともに「おばあちゃんの店」の売り上げアップなど波及効果も大きく、地域の活性化につながっている。
明治の文豪・正岡子規は、死の床で書いたと言われる『病牀譫語(びょうしょうせんご)』(1899)において、「知育」「徳育」「体育」の三育を基盤として実践する教育に対して、人の資質を伸ばすためにはこれに加えて、「美育」「気育」「技育」の必要性を説いた。「美育」は、感動する心を育むこと、「気育」は、人を思いやり生きる気持ちを育むこと、「技育」は、生活するための技術を身につけることである。「まごの店」の高校生たちは、施設に関わる多くの教育実践者たちによって、この「新三育」を体得し、その学習のプロセスが住民同士の関係を紡ぎなおして、地域の元気が可視化されている。
本来であれば、「まごの店」のような事例は、全国各地の学校現場において積極的に実践されているべきであるが、現実としては決して多いとは言えない。それは、成績至上主義や学歴主義という社会環境が、「新三育」はもちろんのこと「徳育」までおざなりにして、教育が「知育」と「体育」のみに傾注せざるを得なかったことに他ならない。さまざまな危機に瀕している我が国を救うには、「三育」と「新三育」を合わせた「六育」のバランスのとれた教育を現場で実践し、まちのキーパーソンとなる若者たちを育成することである。
「商店街活性化プロジェクト」として始まり、関西学院大学の全学共通科目である「地域フィールドワーク伊丹」と連携して展開されてきた伊丹市立伊丹高校の情報科の授業も、「いたみ育ち合い(共育)プロジェクト」として10年目を迎えた。この間、周辺他地域と比較すると「いたみ」は人材の連携・協働が格段に進展し、目に見えて活性している。ここに授業を受けた生徒たちが大きく寄与しているのである。地域活性化を「場」として、情報社会に適応する力(社会人基礎力)の育成をねらった取り組みが、「六育」を基盤として地域全体に「自信」と「愛着」をもたらし、市民が立ち合うという「共育」が実現している。教員が地域に根差すことは、「教育」の本来あるべき姿を了知する機会となるのである。