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2011年09月19日(月) 

「図書殿を救う気か。共倒れになるぞ」
 三十郎は泣くようにして訴えた。
(このじじいい、もう心の内を漏らしやがった)
 半右衛門はそう内心苦笑しながらも、
「こういう時の功名こそ、光るってもんよ」
 不適な顔を三十郎に向けた。次いで、こうも付け加えた。
「人に秀でるのはこの時なのさ」
 そう言った半右衛門の表情がどこか寂しげなものに変わっていったのに、三十郎は気付かなかった。
 半右衛門は、川の流れにぐいと目を向けた。
「気に入らぬ者を見殺しにしたとあっては、皆に笑われるわ」
 叫ぶや馬腹を勢いよく蹴った。
「我に続け」
 真っ先に、どっと河へ馬を入れた。
 足軽も騎馬武者もこの半右衛門の姿に勇奮した。

                              (本書P38より)

 

『小太郎の左腕』(和田竜・著/小学館文庫)を読みました。

 

 

 

まずは、出版社の紹介文を引きます。


時は一五五六年。勢力図を拡大し続ける西国の両雄、戸沢家と児玉家は、正面から対峙。両家を支えるそれぞれの陣営の武功者、「功名あさり」こと林半衛門、「功名餓鬼」こと花房喜兵衛は終わりなき戦いを続けていた。そんななか、左構えの鉄砲で絶人の才を発揮する11才の少年・雑賀小太郎の存在が「最終兵器」として急浮上する。小太郎は、狙撃集団として名を馳せていた雑賀衆のなかでも群を抜くスナイパーであったが、イノセントな優しい心根の持ち主であり、幼少の頃より両親を失い、祖父・要蔵と山中でひっそりとした暮らしを営んでいた。物語は、あることを契機に思わぬ方向へと転じていくが--。



 一五五六年といえば川中島の合戦の翌年、桶狭間の戦いの四年前ということです。鉄砲は種子島と呼ばれ、すでに一五四三年に種子島に伝来しており、合戦にも使われていたが、まだまだ戦略的には充分に活用されていなかった時代である。もうすぐ勝敗を決する武器として使われはじめる前、謂わば鉄砲の黎明期ともいうべき時代の話だ。和田氏のとらえ方として、この時代の武将は命を惜しまず、名をこそ惜しむ。群雄割拠の時代、英雄たるもの相手に打ち勝ち命をつなぐ。生に対する執念は生半可なものではない。しかし、卑怯な振る舞いや見苦しい生き方で己が名誉に傷がつくことを最も忌み嫌うのだ。男が男であった時代、武士が武士たり得た時代に、無垢な心を持った少年とヒロイズムに生きる武将二人が相見えたとき、物語は想像を絶する展開を見せる。それは単に領土や富を争う戦に非ず、己が最も大切にするものは何かを自らに問う戦いであった。
 本作は和田氏の小説としては『のぼうの城』、『忍びの国』につづく三作目。どの小説も登場人物のキャラクターが個性的で魅力に溢れている。その個性たるや尋常ではない。そして彼らの生きざま、死にざまは男として美しくカッコイイ。

 


閲覧数759 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2011/09/19 02:00
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