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2014年04月11日(金) 

 信長は光秀の有能さをそこまで買っていながら、好悪の情からいえば光秀のようにいかにも教養がありげでしたり顔の男がきらいであった。信長はどこか愛嬌のある男か、能力があるわりにはひどく質朴な面をもった男を好んだ。どこかユーモラスでからかえるような男を好んだが、光秀はおよそそういう男ではなかった。
信長はここ数年、光秀につらくあたり、光秀がそれに耐えていたということを官兵衛はきいている。
(光秀は、荒木村重も信技に感じていた恐怖心をもっていたのではないか)
 いつかは信長のために殺され、信長のために領国を召しあげられる、ということである。そのいつというのは、信長の天下が安定したときだ、という点では、村重もそう思い、光秀もそう思っていたにちがいない。
                                   (本書P203より抜粋)

 

 

『播磨灘物語(四)』(司馬遼太郎・著/講談社文庫)を読みました。

 

 

いよいよ中国大返し。備中高松城水攻めの最中に本能寺の変の急報をうけ、「どうしてあれだけの短期間で山崎までとって返すことができたのか?」という謎に対する司馬氏流の解釈と運命のいたずらのなす物語に興奮した。そして、権力者の猜疑心の深さを知るや、己を水の如く処す官兵衛の知慮に唸った。「臣ハソレ中才ノミ」と言い放つ官兵衛の聊か口惜しくも恬淡とした態度がクールでした。一昨日は高台にあるJR赤穂線・西片上駅から町を見下ろしながら、暫し、中国大返しのロマンに酔いました。幸せなひとときでした。

 


閲覧数1,441 カテゴリ読んだ本 コメント1 投稿日時2014/04/11 21:30
公開範囲外部公開
コメント(1)
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  • 2014/04/12 07:41
    統一後の粛清と言うのは、劉邦とか思い出しますが、まんざら、想像に難くないことだったのかもしれませんね
    次項有
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