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2012年06月20日(水) 
道しるべはいつの世でもありがたい

6)幣高神社と街道道標、

(銀の道:尾道市木ノ庄町木梨)

 大正13(1924)年建立の道標。旅人の行く道先を示すもの。近代のものであるが、残されているものは少なくなった。この道標の寄贈者は奥本吉右衛門氏(尾道市長江町)「左面:市村 一里半」「右面:府中 三里半」とある

おのみっち「風景街道「銀の道」」コミュより
http://onomichi-sns.jp/community/?bbs_id=232
位置図:同上のマップより
http://onomichi-sns.jp/community/comm_map.php?bbs_id=232

閲覧数1,678 カテゴリ日記 コメント7 投稿日時2012/06/20 05:40
公開範囲外部公開
コメント(7)
時系列表示返信表示日付順
  • 2012/06/20 11:25
    途中がっちり塗り替えましょうって

    違反かなぁ~!
    次項有
  • 2012/06/20 11:35
    カバヤさん
     この道標の寄贈者、奥本吉右衛門氏(尾道市長江町)と同じ名前の石柱が備後運動公園の南側遊園地出入口の植え込みにあります。

     記憶違いでなければそれには右、本郷ヨリ出雲新道ニ至る、左、中野大通寺至、大正12年4月とあり、同人物が同じ頃場所を変えて建立したのはどのような意図があったのでしょうか?

     この辺は芸藩通誌によると大坂峠の地名で出てきます。

     栗原の八幡神社を経てスーパーメイトの交差点を久山田尾道大学への市道を約300mほど登り右折、山裾に沿いさらに登ると大池に出て公園線の道に出る旧道、おそらく尾道から深をへて三原に通ずる幹道だったと思われる。

     この道標により公園を横切、さらに山道を進むと山間の集落「泉」に達します。ここにまた大きな石燈籠があり、旧街道の名残を留めているのではと....。
    次項有
  • 2012/06/21 19:39
    カバヤさん
    尾道三原間,山谷の泉地区の石燈籠
    次項有
  • 2012/06/22 06:01
    > サンライト39さん
    はい。法律に触れます
    次項有
  • 2012/06/22 06:01
    > カバヤさん
    歴史を感じることができますね。
    次項有
  • 2012/06/23 09:48
    カバヤさん
    > さいごくくんさん
    追伸-奥本吉右衛門氏寄贈の道標の由来について
    後日運動公園の石柱のメモを確認したところ、他に栗原町青年団川上支部と刻まれていました。
     
     私の私見ですが、岡本吉右衛門氏はこの頃、尾道の青年団活動に関りを持って居て、旅人のため道しるべを整備したと思われます。まだ他にも岡本氏が寄贈した石柱が有るかも知れません。
    次項有
  • 2012/06/25 06:09
    > カバヤさん
    きっとあるものと思います。
    探してみるといいですね。(にこ)
    次項有
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