> ももたろうさん
特別ご一緒しますので、お誘いください。
銀の道の旅 2回(御調市~木庄東小~三成)の詳報 主催:大森銀山を目指す会(有志) 日時:平成24年6月10日(日)10時30分~15時00分 参加:11名 1. やるきまんまんの行程 まず、御調高校横までもどりました。そこには常夜灯がありました。その常夜灯を起点として歩き始めました。 御調川に戻り東進する。御調川横断箇所に歩行者用の橋梁がかけられている。江戸時代には、橋はなく、飛び石が置かれていた様子。出水の度、足止めになった。 御調市宿の中心地に至る。胡神社など商売の神様がありお参りをする。市村の街並みは整然としており、古い建物の郵便局などが残り江戸時代から昭和初期まで反映していた模様である。 市村から、畑峠に向かい進む。畑峠へ向かう諸原の道は、草木が覆い茂っており、歩くことが出来なかった。このため、明治時代の道を迂回して進む。近くを昔、尾道軌道が通っていた事が話題になる。今の国道184号付近を通過していた。 峠を越え、木の庄畑に入る。畦のようなところから、山の中腹の道を通る。舗装など無いため草が覆うところ、地域の方の草刈りにより、快適に通る事が出来た。簡単ではあるが、竹の先にテープで銀の道が案内されていた。 市原に抜けるため峠を越える。峠に至る道が途中から草が覆っていた。引き返すことも難しく短距離だったので、押し通っていった。心地よい疲れがあった。 昼食を市原の辻堂で取った。腫れていたので外は暑かったが辻堂の中は快適であった。 先人の知恵と言うべきか。東小学校に至る。幣高神社にお参りをする。東小前で小休憩、道標を確認する。市村まで一里半、もっとあったように思う。その後、白江を通り三成に進む。細い小道、他のあぜ道を進む。人しか通りそうにない道、風景を堪能できる。 三成の御旅所、前回の出発地点の到着。広島行き、バスの時間もあり、そそくさと解散しました。 「銀の道 最初の難所 峠越え 迂回をせずに 越えていく」 銀の道:大森の銀の搬出に、江戸時代大久保長安が家康に命じられ造った7尺道 個別のところは、続報で |