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2012年06月14日(木) 
1)御調高校前の常夜灯(銀の道:尾道市御調町市)

今回の旅の起点、「金常夜灯」と刻銘されています。旧石見街道に面していたが、昭和初期の道路改良により、現在の位置に場所を移された。江戸時代後期には、象頭山松尾寺金光院に詣でる金毘羅参りが盛んとなった。江戸時代の庶民にとって金毘羅参りの旅費は経済的負担が大きかったので、金毘羅講という宗教的な互助組織(講)を結成して講金を積み立て、交代で選出された講員が積立金を使って讃岐国象頭山松尾寺に各金毘羅講の代表として参詣し、海上交通安全などを祈願して帰郷した。また、各地の街道には、常夜灯を造り、旅の安全を願った。


おのみっち「風景街道「銀の道」」コミュより
http://onomichi-sns.jp/community/?bbs_id=232
位置図:同上のマップより
http://onomichi-sns.jp/community/comm_map.php?bbs_id=232

閲覧数1,671 カテゴリ日記 コメント8 投稿日時2012/06/14 05:10
公開範囲外部公開
コメント(8)
時系列表示返信表示日付順
  • 2012/06/14 08:01
    銀の道は旧街道

    歩いてよし 一時の休憩もよし 宿泊してもよし

    ふるきを良く伝えてまする~♪
    次項有
  • 2012/06/14 09:02
    この常夜灯も大きいですよね。

    学生がよく腰掛けて休んでいます^^;

    歴史を感じますね。
    次項有
  • 2012/06/14 10:08
    尾の美さん
    この常夜灯は今も昔も人々の憩いの場所となっています
    なにげなく通り過ぎるのでなく経ち止って
    昔を偲んでほしいです
    次項有
  • 2012/06/14 11:31
    カバヤさん
     御調町にはこのような大きな石灯籠をよく見かけます。184号線畑の峠の尾道側熊野神社より下る、バイパス対西側の斜面にもありますね。
     
     御調が西国太宰府~京の都を結ぶ古代山陽道の大路にあたり駅家が置かれ、神辺.府中の芦田川、御調川に沿って御調丸門田.美生.御調八幡宮を経て本郷.真良(高坂)に通じていたと云われています。

     また、石州街道の要衝地で、中世荘園の時代、太田の庄の倉屋敷尾道への中継宿場町で繁栄し、又、その後、陰陽の交易の幹線ルートであった事を思うと「市村」の現状は少し寂しく思います。

     しかし、近世、物流が内陸部から海上交通に移り、交易の中心地が沿岸部に集積しそこが繁栄したのも歴史の必然とみるべきでしょう。

     そのため西国街道(山陽道)は神辺~赤坂~今津(松永)~西藤~三成の藤井川に沿って木頃本郷、深、中野.三原城下に抜けるルートを経て、江戸幕府1617年頃以降、現在の尾道市街~福地.木原.糸崎に至る海岸線に沿ったルートに変遷したと推測されます。

     関白秀吉が九州征討.朝鮮の役で西国名護屋に往下向した1580年~晩年の1598年代は三成~深村.中野.三原城下のルートを通過したと云われ、近年迄、三成には太閤ご休憩所跡があったと伝えられています。
    次項有
  • 2012/06/15 03:43
    > サンライト39さん
    いい旅でしたね。
    次項有
  • 2012/06/15 03:44
    > かりこんさん
    高校のそば、待ち合わせにいいかな。
    次項有
  • 2012/06/15 03:44
    > 尾の美さん
    ここで、ゆっくりするのもいいですね。
    次項有
  • 2012/06/15 03:46
    > カバヤさん
    元気にするのは皆さんの力です
    次項有
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