> ももたろうさん
ありがとうございます。
沖縄の歴史と現状への正しい理解が、日本の未来づくりに役立ちますこと願ってやみません。
6月23日は「慰霊の日」。沖縄県民にとって忘れることのできない特別な一日です。本土決戦の捨て石とされた沖縄戦。非戦闘員である一般住民を巻き込み、20万あまりの尊い命と財産、琉球の貴重な文化財や自然をことごとく奪いかりゆしの島を焦土と化した悲惨な戦闘でした。 沖縄戦における20万人を越す戦死者のうち、約半数に近い9万4000人余りの戦死者が、兵隊以外の一般県民や子供でした。この沖縄戦で、沖縄防衛第三十二軍司令官牛島満中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決したのが昭和20年6月23日の未明。日本軍の組織的戦闘が終結した節目として、沖縄慰霊の日が制定されたのです。 本土復帰前はこの「慰霊の日」を、沖縄戦の戦没者の霊を慰めて平和を祈る日として「休日」とし、、各行政機関や学校、企業に定着していました。しかし、1972年の本土復帰後は、日本の法律が適用となって「慰霊の日」は「休日」としての法的根拠が無くしていまいました。 1976年から4年間、琉球大学に学んだ私の記憶では、法的な裏付けは棚上げして、沖縄県民は「慰霊の日」を公休日として、その意志を継続していました。その後1991年、地方自治法が改正され、「慰霊の日」を「休日」と定める県条例が公布されて、正式に「慰霊の日」は「休日」と定められました。 毎年この日は、糸満市摩文仁の平和記念公園において午前11時50分から沖縄県、沖縄県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」が行われ、正午の黙祷などにより戦没者の御霊を慰めるとともに世界の恒久平和を願う沖縄県民の思いを世界に発信しています。また同時に、沖縄県内に散在する各地の慰霊塔などでも一斉に慰霊祭が行われます。 戦争体験者が少なくなる中、今もなお沖縄県内には大量の不発弾が残されており、爆発事故が後を絶ちません。手榴弾などは、さびついてひび割れた状態で、住民の目に触れる場所にむき出しでさらされているものもあり、日常、身近な危険にさらされ続けています。加えて、広大な米軍基地の重圧を強いられ続けている沖縄県民の現状を考えるとき、6月23日、慰霊の日の持つ意味を、もう一度、考え直してみたいと思います。 |