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2011年02月11日(金) 
呉のにくじゃがって、どんなんだったっけ。

と、まつえのみんみんに聞かれて…

他の地域のとちょっと違うんですよね。
なんやったっけかな?
玉ねぎが入ってないんでしたっけ??

よくわかんないけど、海軍で使っていた模様。
船上の料理ですね。戦場ではありません 。

で、少しひも解いてみると。

1870年から1878年までイギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、日本へ帰国後、艦上食として作らせようとした。しかし、ワインもドミグラスソースも無く、そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりと言われている。

ビーフカレーと材料が同じ料理という事で海軍食として非常に都合が良く(補給の際の物資の種類を制限できる)定着した。ただし牛肉やじゃがいもという当時の日本人には馴染みの薄い食材を使うせいか、一般社会の食卓には定着しなかった(牛鍋は外食、牛肉の大和煮は缶詰料理であり、ともに家庭料理ではない)。肉じゃがが戦後の空白の時代を経て家庭食として再登場するのは1960年代であり、また実際に定番メニューとして定着したのは早くても1970年代とされている。今では「おふくろの味」の代名詞として家庭料理の代表作と呼ばれるまでになっている。この流れはカレーライスの普及と時を同じくしており、食材の牛肉とじゃがいもが日本の家庭に定着するのと軌を一にしている。当時は「甘煮」として人気を博した。

呉が発祥の地というが、

京都府舞鶴市が1995年10月に「肉じゃが発祥の地」を宣言。1998年3月に広島県呉市も「肉じゃが発祥の地?」(最初に宣言した舞鶴市に配慮して"?"をつけた)として名乗りを上げた。

根拠は、東郷平八郎が初めて司令長官として赴任したのが舞鶴鎮守府であり、現存する最古の肉じゃがのレシピが舞鶴鎮守府所属艦艇で炊烹員をしていた故人から舞鶴総監部に寄贈されたものである。
呉市も負けずに、舞鶴赴任より10年前に呉鎮守府の参謀長として赴任している。

しかしながら資料が曖昧であり、最古のレシピが本当に舞鶴で作られたものなのか他の鎮守府から伝わったレシピを書き写したものではないのかという論争が決着していないため、両市とも大岡裁き的に「舞鶴・呉の双方が発祥地」としている。現在は舞鶴、呉がライバル関係をアピールしながら連携して肉じゃがと海軍ゆかりの街をアピールしている。


閲覧数687 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2011/02/11 08:40
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