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2011年09月18日(日) 
お彼岸ではないが、

彼岸に出かけられそうにないので、今日墓参りをした。
先祖に感謝、子孫の健康をお願いした。

お彼岸とは…
彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。



お彼岸とは
「彼岸」とは、「彼の岸(かのきし)」つまり向こう岸ということです。
浄土の世界、あるいは大悟の世界、すなわち一切の煩悩・無明(まよい)を断ち切った悟りの国という意味です。 
 これに対してこちら側の岸を「此岸(しがん)」と言います。意味としては、「私たちが日々人間苦や人生苦など、生死煩悩の世界に於いて生業に追われている岸」と訳されてます。
 彼岸という言葉は、古代インド語の波羅蜜多(パーラミター)が語源で、意味は「彼の岸へ至る」ということです。
 この世の者が、仏様の境涯に到るためには六つの修行が必要で、「六波羅蜜」と呼ばれます。

【六波羅蜜】
 ①「布施(ふせ)」
    見返りを求めない応分の施しをする事をいいます。貪欲の気持ちを
抑えて、完全な恵みを施すことで、布施行は物質だけではありません。
 ②「持戒(じかい)」
    道徳・法律等は人が作り現在はますます複雑になっています。私た
ちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒める事が肝要です。
 ③「忍辱(にんにく)」
    如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば、苦痛の多い現
代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかり、全て
の人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなります。
 ④「精進(しょうじん)」
    不断の努力をいいます。我々人の生命は限りがあります。ひとと
きも無駄にすることなく日々誠心誠意尽くすことです。冷静に第三者の
立場で自分自身を見つめることをいいます。
 ⑤「禅定(ぜんじょう)」
    冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいいます。
 ⑥「智慧(ちえ)」
    我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけてます。しかし
貪りや怒り愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちです。

 煩悩と迷いの世界である【此岸(しがん)】にある者が、「六波羅蜜」
(ろくはらみつ)の修行をする事で「悟りの世界」すなわち【「彼岸」
(ひがん)】の境地へ到達すことが出来るというものです。

『六波羅蜜寺』ホームページより引用



 浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられています(西方浄土説)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりとも言われます。

 太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間を「彼岸」と呼び、この期間に仏様の供養をする事で極楽浄土へ行くことが出来ると考えられていたのです。


【お彼岸の期間】

   春彼岸・・・春分の日を中日とした前後3日間の計7日間
   秋彼岸・・・秋分の日を中日とした前後3日間の計7日間

 お彼岸には、お盆のように特に決まった行事や飾り付けをすることは少なく、一般に中日かその前後に家族でお墓参りに出かけることが多いようです



なんだか、難しい話になってしまいました。
ごめんなさい。

閲覧数630 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2011/09/18 18:32
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