萩往還の旅(明木~涙松)の時空観察の旅 改めてのご報告ですが、萩往還、とても素敵ですね。 ぜひ、見に行ってください。 何回かに分けて、歩いた奇跡、報告します。 そのほか、歩いていないところにも行ってみたいなと思います。 主催:萩往還語り部の会 日時:平成25年2月2日(土)10時30分~12時00分 参加:約20名 1. やるきまんまんの行程 萩往還は、毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での御成道として開かれました。日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長約53kmの街道です。江戸時代、参勤交代の行列のほか、庶民にとって山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡道として重要な交通路であり、幕末には、維新の志士たちが往来し、歴史の上で重要な役割を果たしました。萩往還には、人馬の往来に必要な一里塚や茶屋跡、通行人を取り締まる口屋跡が残っています。大部分は国道や県道、公道として現在も利用されていますが、起伏の激しい山間道の中には廃道となったものもありました。そこで、近年これらを保存し、後世に伝えていくために整備が進んでいます。興味がそそられる道、是非歩きたいなと思う。 今日は、萩往還語り部の会のイベントに参加、8時30分に湯田温泉ホテルニュータナカに集合しました。一行は、20名、参加費3000円を支払い、バスに分乗しました。バスは、萩市佐々並に向かいました。西岸寺におまいりしました。佐々並は、萩往還の宿市として整備されたところです。当時の街並みが残っています。引き続き、バスにて明木に移動、明木川沿いで下車、悴坂峠を越えて歩いていきました。峠越えの道はきれいに整備されており快適でした。大名も駕籠に乗ったままでは大変と籠立場が設けられていました。現地に再現されており実感できました。峠を越え、萩側におりたところ、松蔭記念公園とその道の駅に出ました。志士たちの銅像が多く建てられており維新を思い起こさせました。引き続き下ると一里塚、梅林園、涙松にいたりました。涙松からは萩の町が見通せるところでした。そこから、バスに乗り市内へ移動、起点である唐樋札場跡は、謝状から眺めて通過となりました。時間の関係もあり、食事、新山口駅への移動もありゆっくりと出来なかったのは残念です。 この日は断片的にしか見ることが出来なかったのですが、とても、良いところ、時間空間の旅を始めたいなとの思いに駆られました。時間を作り、西国街道のごとく、歩きたいなと思う反面、公共交通機関がないため、それぞれの起、終点までの移動の準備に手間が掛かりそうです。皆さんの協力で実施に移せればと考えています。 「萩往還 風景残す 街道を いずれ歩くと 時空の旅人」 萩往還:毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での御成道 国営備北丘陵公園全園開園 http://www.bihoku-park.go.jp/ 過去から現代につながる生活空間を実感する旅 (HP)私が歩いた西国街道紀行 http://www.geocities.jp/saigokuh16f6/index.html (ブログ)おのみち地域SNS「西国街道コミュニティー」 http://onomichi-sns.jp/community/?bbs_id=214 (Facebook)http://www.facebook.com/#!/shiokata.yukio |