3)継体天皇陵(茨木市太田3丁目) 太田東芝町に至る。太田茶臼山古墳と呼ばれるある前方後円墳。宮内庁により「三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)」として第26代継体天皇の陵に治定されている。墳長はおよそ230mで、馬蹄形の周濠が巡る。陵名「三島藍野陵」の「藍」は、三島が島上郡と島下郡に分かれる以前の広範囲の地名であり、この古墳の北西には安威(あい)という地名が残り、安威川が流れる。 江戸時代中期に継体天皇陵に比定されたが、文献史学としては、延喜式記載の所在地と異なると指摘されている。考古学的にも527年 (古事記) ~ 534年 (日本書紀或本云) に没した継体天皇の陵ではないという意見が研究者の大勢を占める。これに対し、今城塚古墳は、所在地および考古学的に推定される築造年代が文献に記される継体天皇陵としての条件に合致する上、当該期の古墳の中では隔絶した規模であり、こちらが真の継体天皇陵と考えられている。 |