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2016年02月01日(月) 
伊丹市立伊丹高校の「いたみ共育プロジェクト」活動報告に寄稿する文章を書き下ろしてみました。畑井克彦先生が定年退職される今年度がひとつの区切りです。今後、取り組みがどのように成長していくかが楽しみです。

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学校教育のゆらぎ-「ゆとり教育」と「脱ゆとり教育」

 日本の教育は、長い間、知識重視型の「学力」中心の教育方針で展開されてきたが、2002年度から施行された学習指導要領で、学習時間と内容を減らし、経験重視型の「学ぶ力」を重視する方針に転向した。いわゆる「ゆとり教育」の始まりである。「学力」と「学ぶ力」との関係は、それまでも多くの議論が行われてきたが、学校で必要な「勉強する力(学力)」と社会が求める「学ぶ力」は、そもそもどちらかではなく、どちらも大切な能力であることは明らかだ。

 ゆとり教育の中で文部科学省は、「確かな学力」という言葉で「学ぶ力」を定義した。基礎的な知識や技能だけでなく、学ぶ意欲や思考力、判断力を含め幅広い学力を育てるという意味だ。教科書を開き、問題を解き、正解を求め、回答するという勉強のスタイルは、社会に出たとき、教科書も、正解も、お決まりの必勝解法も存在しない中では、ほとんど無力に近い。そんな不明確な社会の中では、与えられた知識を覚えたり、正解のある問題を解くことのできる「勉強する力」よりも、自分で考え行動する基礎となる「学ぶ力」を育んで欲しいという狙いだった。

 しかし、この教育方針は、PISAなどの国際学力テストで順位を落としたことなどから学力低下が指摘され、各方面から批判が起こった。文部科学省は、2005年には早くも、中山成彬文部科学大臣が中央教育審議会に学習指導要領の見直しを要請し、さらに安倍晋三首相主導のもと、教育再生(ゆとり教育の見直し)が着手された。そして、2008年には新しい学習指導要領が改訂され、ゆとり教育は事実上、教育現場から姿を消すこととなった。

 「脱ゆとり教育」によって、特色だった総合的な学習の時間が削減、総授業時数が大幅に増加し、反復学習強化のために教科書のページ数が増量された。この結果として、「分かりやすく伝えたり、説明できる児童」や「感じたことを表現できる児童」などの増加がみられたものの、「疲れている児童」や「授業についていけない児童」も増加している。また、「児童間の学力格差が広がった」と感じている教員も多く、「教材研究、教材準備の時間不足」「学力が低い児童の学習意欲を保つことの困難性」「児童間の学力差」という悩みを訴えている。暗記や暗唱が中心の教育に戻したり授業時間を増やしたりする方法では日本の教育が抱えている諸問題は解決できないと考える現場の教員は少なくない。

経験学習の必要性-正岡子規とデービッド・コルブと教え

 明治の文豪・正岡子規は、死の床で書いたと言われる『病牀譫語(びょうしょうせんご)』(1899)で、「知育」「徳育」「体育」の三育を基盤とする教育に対して、人の資質を伸ばすためには、「美育」「気育」「技育」という新たな学びが必要であると説いた。「美育」とは、感動する心を育むこと、「気育」は、人を思いやり生きる気持ちを育むこと、「技育」は、生活するための技術を身につけることである。本来、総合的な学習の時間は、子規の言う「新三育」を実現する場であったはずだが、これを実践に持ち込める教員が少なかったこともあり、残念ながらその真価はなかなか見える化されることはなかった。

 米国の組織行動学者デービッド・コルブによる「経験学習の4つのステップ」は、子規の新三育を実現する手法として大いに参考になる。人は実際の経験を通し、それを省察することでより深く学べる。体系化・汎用化された知識を受動的に習い覚える知識付与型の学習やトレーニングではなく、「経験→省察→概念化→実践」という4段階の学習サイクルから成る学ぶ「経験学習モデル」理論を提唱している。

 それぞれのステップの定義は、「経験(Concrete Experience)」が、具体的な経験をし、自分で気づく。「省察(Reflective observation)」は、経験を多様な観点から振り返り、自分で考える。「概念化(Abstract Conceptualization)」は、他でも応用できるよう概念化し、自分の持論(教訓)をつくる。そして「試行(Active Experimentation)」は、新しい場面で実際に試してみて、自ら行動を起こす。この繰り返しで、人は成長していくのである。

 人の能力開発は、ほとんどが日常の経験から生まれている。しかし、経験年数が上がれば、それだけたくさんの学びが得られ、成長すると言うものではない。いつまでたっても、同じような失敗を繰り返す人がいるのに対して、短期間にどんどん「できる人」になる人もいる。この違いは、現場の実体験から「何か!を得られる人」と「何も得られない人」との差であり、批判的思考(critical thinking)ができるかどうかの違いである。教員には、常に子どもたちが、批判的思考ができる機会と場を提供することが必要とされる。

「いたみ共育プロジェクト」の成果とは

 伊丹市立伊丹高校が情報科の授業を使って実践してきた学習モデルは、全国的にも非常に優れた取り組みである。若者たちにとっては、勉強する力と学ぶ力は、どちらも重要な学力だ。このふたつをうまく両立させるためには、「学ぶ意欲」に気づかせることが必要となる。伊丹高校では、プロジェクト学習(Project Based Learning)や能動的な学習(Active Learning)などの先進的学習手法の場として「地域」を見据た授業を、十数年の期間かけて磨き上げできた。生徒にさまざまな経験学習させることによって、(すべてではないが)生徒たちに新三育の重要性を発見させ、学ぶ意欲を覚醒することに成功している。

 昨年12月、伊丹高校1年の女生徒ふたりが、関西学院大学神戸三田キャンパスに来て研究発表を参観した。情報化社会のあり方について考察した大学生のさまざまなプレゼンを聴き終えて、彼女たちにコメントを求めたところ、自ら学んだことを明確に言葉にしただけでなく、改善点などについても的確に指摘した。その立派な態度としっかりした考察に、200名を超える大学生から一斉にどよめきが起こったことは言うまでもなかった。普段から高校の授業で鍛えられてきた成果が、自然に可視化された瞬間であった。

 批判的思考は、情報や他人の結論を「ただ否定する」のではなく、結論を支える根拠に対して「本当にそうなのだろうか?」と疑問を投げかけ、最終的には自分の頭で判断する習慣のこと。彼女たちは批判的思考ができるトレーニングを重ねて、物事をより深く考えることに馴れていた。学校の授業は、どうしても講義主体でクラスに閉鎖的になりやすい。論理的思考や批判的思考を育むには、校外の専門的人材や地域住民の支援と交流が不可欠であり、伊丹高校の取り組みは、これを巧みに組み込んでいる。

 このような教育の実践には、保護者や教員から生徒への負担を懸念する声が出やすい。しかし現実には、若者を取り巻く社会環境の変化により学校外の学習時間は減少傾向が続き、「学ぶ力」を養成する社会からの隔離も進んでいる。勉強する力に偏ることなく、学内でも家庭でも地域でも、未来を担う「人財」の育成を念頭に理解を深め、更に協働が進められることが、生徒への負担を軽減し学びの効果を上げる唯一の方法論であろう。伊丹高校の取り組みが、今後ますます深化していき、多くの有望な若者たちが社会で活躍することを期待したい。 

関西学院大学総合政策学部非常勤講師
総務省地域情報化アドバイザー
和崎 宏

閲覧数795 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/02/01 08:03
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