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2011年12月22日(木) 
行政境を越えて、一里塚の碑を建てたのは立派です

紫峠一里塚の碑(銀の道:三次市甲奴町)

銀の道は、きちんと一利お気に、塚が設置されていた。旅の目あす、休憩場所でもあった。その塚の位置を丹念に調べ、記念碑をたてている甲山のグループがある。ここは、三次市だが、隣接していることもあり、有志を募って碑を建てたという。なんという、ありがたいことか。

位置図:おのみっち「風景街道「銀の道」 」より
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閲覧数1,426 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2011/12/22 18:58
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2011/12/22 22:35
    カバヤさん
    1里塚 灯台下暗し、西国街道(旧山陽道)を豊臣秀吉が九州の役に通過した頃1580年~1600年までの神辺-今津-尾道-三原ルートを探しています。
     とくに知りたいのは、尾道~三原の海岸のルートは開発されていなくて、三成-本郷-深-中野-三原の山間部の説がありますがお伺いします。
     1597年の冬、長崎で処刑された日本26聖人の1人で京都から陸路護送され、尾道に宿をとり、三原で母親あてに手紙をしたためた伊勢生まれの-トマス小崎-少年の記録が、ローのマのバチカンに残されています。その受難の足跡を検証したいと思い、御助力をお願いします。
    次項有
  • 2011/12/23 04:13
    > カバヤさん
    今の西国街道を整備したのは、江戸時代になってからですね。それまでは、いろいろなルートがあり、時期によって、通るところも違っています。西国街道は世の中が安定してからのことなので、各地にその痕跡がしっかりと残っているということなのかもしれません。その西国街道や、銀の道などは、それを、身近に感じることができ、街道歩きとしては初心者も参加しやすいところです。
    次項有
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